ファッション業界の夏休みは終わった。今週水曜日9月7日からニューヨーク・コレクションが始まる。
ファッション業界はますますサイクルが短くなっている。次から次へとコレクションが発表される。デザイナーはさぞやお疲れのことであろう。
これを追いかけるジャーナリストやバイヤーも同様である。「陳腐化」のお手伝いをして、消費者に「新商品」を買わせなければならない。
「流行遅れは一種の病気です」(ロラン・バルト)。
それはともかく、最近、とくに東京では、ファッションショーにいわゆる一般消費者が多数詰めかけるようになった。我々ジャーナリストやバイヤー諸氏と並んで最前列でショーを見ているケースもある。ときに我々より前列で見ているなんてこともある。
一般消費者と似たような存在だと思うが、ブロガーの女子というのも我々よりも重要視されているケースも少なくない。もはや影響力では彼女たちのほうが上という判断なのであろう。
別に腹も立たないが、そういうデザイナーやブランドは、「クリエーション」とか「デザイナーの使命」とか「時代精神を反映したモード」とかいう文言を以後軽々しく使わないでいただきたい。
ファッションショーばかりではない。展示会にもこういう人々が押し寄せて来ている。
ブランドのファンとはそのブランドの店でしっかり定価で買い物をする方々だと私などは思うのだが、どうも最近はそうではないらしい。定価で買うのは「一見さん」と呼ばれる新規客なのだそうだ。
何か、このあたりに従来のファッション業界のヒエラルキーをぶっ壊す爽快さを感じないでもないが、危うさも同時に感じるのだ。
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7月20日に秩父宮ラグビー場で行われた
「ヨシオ クボ」のファッションショーのフィナーレ。
隣の神宮球場が5回の裏に打ち上げる花火に
フィナーレを合わせた心憎い演出だ。
(※なお本文とこの写真には全く関連がありません。)
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今年2月のニューヨーク・コレクションで突如巻き起こった「SEE NOW BUY NOW」(消費者にファッションショーを見せてその場で注文を取ったり販売するシステム)のムーブメントにも従来の業界秩序を壊してしまうような爽快さと同時に危うさも感じたものだ。
「ジャーナリストだとかバイヤーだとか、そんなマドロッコしいものはもう要りません」と彼らは言っているのだ。
こうした一連の流れはどうもブランドがネットで消費者にダイレクトにモノを売るようになったのが遠因だと思う。便利ではある。だからそこには落とし穴もあるのである。
本来、我々ジャーナリストは、そのブランドのショーや展示会を見て、「Aの今シーズンは素晴らしい。それに比べてBの出来は惨憺たるもの」とか、「このデザイナーC君はファッション界を背負う存在になるだろう」という予言すらして来たのである。
しかしそんなマドロッコしいことはもう必要ない。「キャー可愛い!!」とか「あの白のクロップドパンツが今すぐ欲しい」とかそうした本能的で瞬間的な反応が欲しい、ということになってしまったようである。
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各種クロップド・パンツ
(※「楽天:IceBlue」の見本写真より。)
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バイヤーについても同様である。「注文をもらって納品しても売れるかどうかもわからず、下手したら返品もある商売なんかやっていられませんよ。展示会で上顧客に30%オフで売った方がよっぽど儲かりますよ」というわけである。
しかし、これって何か肝心なことを忘れていないだろうか。
例えるなら、一般人が海に潜って魚を獲って浜辺で刺身にしたり焼いて食べているのを、プロフェッショナルの海女や漁師や海辺の飲食店が呆れて眺めているといった感じなのだ。
「いずれこいつら溺れたりサメに食われたりするのがわからないのかな」。
消費者とダイレクトにアッと間に結びついたとしても、その寿命はどれほどのものなのだろうか。アッという間に人気に火がついて(と言っても大した金額にはならないはずだ)、アッという間に消えていく。そんなところではないのだろうか。
下手をすればサメにだって喰われる。まさに消費されるファッションを地で行っている。
そうではなくて、じっくりと階段を上って焦らず弛まずゴールに向かっていくような悠揚迫らざるビジネス、それこそ本筋ではないのかと、私などは思うのだが。
大切なのは本当の理解者である。ジャーナリストやバイヤーはその役割をきちんと果たさなければ疎んじられても文句は言えないだろう。
そんなのもう古いと言われればそれまでだが。
(2016.9.11「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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