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大手ハンドバッグメーカー、クイーポの創業者である岡田國久・同社代表取締役会長が肺炎のため1月27日逝去した。昨年8月に体調を崩して入院、現場復帰を目指して静養中の急逝だった。

 クイーポは今年創業50周年を迎える。その50年の歩みをまとめる社史編さん作業に弊紙WWDジャパンは協力している。岡田会長の口述による「創業者ヒストリー」は私の担当だった。

 昨年4月からインタビューが始まった「創業者ヒストリー」は、第一章「野球少年、東京へ」、第2章「バッグ業界で頭角を現す」、第3章「クイーポ創業」、第4章「本丸を作る」、第5章「ライセンス事業から学んだこと」、第6章「海外戦略」、そして最終章の第7章「ゲンテン誕生」のインタビュー前半が終わったところで、岡田会長は入院。私は最後のインタビューになってしまったわけだ。

KUIPO

 岡田会長は2013年5月にフィレンツェの文化遺産保護への貢献に対してフィレンツェ市の鍵(名誉市民)を受賞し、今年1月には同市ヴェッキオ宮にその栄誉を讃えられ「岡田國久」の名前も入った記念碑設置の式典が行われた。

 その式典への出席を岡田会長は楽しみにしていたというが叶わなかった。死期を感じた素振りもなく、今年のもうひとつの式典、区切りになる自社の50周年式典に思いを馳せていたのではあるまいか。

 岡田会長は、立志伝中の人物だ。長野県埴科(はのしな)郡森村(今の千曲市)に農家の四男坊として生まれ、中学、高校は甲子園を目指した野球少年。肩を故障して挫折。高校卒業後は、上京。蔵前の袋物問屋に勤めた。ここで商才が開花した。そして27歳の1965年5月には早くもクイーポを創業した。

 社名であるクイーポはハワイの原語であるKuu(クウ)=「私の」、ipo(イポ)=「大切な人」「愛しい人」に由来しているという。岡田会長の「Kunihisa Okada」のイニシャルも巧みに隠れているとも言われている。

 創業後のクイーポは、ハンドバッグのカジュアル化をテーマにした商品政策を打ち出して業界で注目を集めた。当時ハンドバッグはまだ和装小物のひとつとして、「袋物」と呼ばれていた時代だった。

KUIPOのハンドバッグ

 故伊丹十三を起用したファッションショー(1972年)やテレビCMを製作するなど、旧態然としたハンドバッグ業界に新風を吹き込んだ。「ベネトン」「モスキーノ」「ゲス」などのライセンスビジネスで売り上げを拡大する一方で、日本に初めて「プラダ」を輸入・販売する(1979年)など、岡田会長の商品を見る目の確かさと進取の気象をうかがわせる。

 順風満帆で業容を拡大して来たクイーポだが、2000年前後に転機になる出来事があった。岡田会長が最も思い入れのあったライセンスブランドとして挙げている「ベネトン」との契約終了とオリジナルブランド「ゲンテン」の誕生だ。

 「『ベネトン』は一時期、当社の売り上げの半分近くを占めた。しかし2000年になって次第にダウントレンドになってきた頃、アプルーバルにおける意見の食い違いも生じ、これはもう契約を切ろうとこちらから申し入れた。非常に勇気のいることだった。2003年に、とうとう15年続いた『ベネトン』のライセンス契約を終了することになった。」

BENETTON

 最近では三陽商会とバーバリー社のライセンス契約終結が話題になったが、クイーポにとっては、社運を賭けるような決断だった。「ベネトン」との15年を振り返って、岡田会長は「ライセンスに頼っている企業経営は怖い。最終ジャッジができない物作りをやっていては、安定的な経営はできない」と語っている。

 「ベネトン」とのライセンス契約を終了した背景には、1999年に立ち上げたエコロジーとファッションを融合したブランド「ゲンテン」が軌道に乗りつつあったからである。岡田会長が「ゲンテン」の構想を発表した時、社内では反対の声が大きかったと苦笑しながら岡田会長は話してくれたことがある。

「エコロジー」が今のようにまだ一般的ではなかった時代である。岡田会長は、中国に旅行したときに自然破壊の末に完成したサンメンシアダムを見て「ゲンテン」を思いついたと話しているが、もしかするとその原点には杏(あんず)の里として知られ、白や淡い紅色の花が一面に咲く生まれ故郷の早春の風景があったのかもしれない。

 いずれにしても「ゲンテン」は岡田國久が残した一世一代の名ブランドである。現在国内70店舗、イタリア(フィレンツェ)、フランス(パリ)、中国の海外10店舗で販売され、クイーポの屋台骨を支える存在に成長した。

genten テッセラ カード・名刺入れ

 岡田会長が残したもうひとつの遺産は、市ヶ谷に聳え立つ15階建ての本社ビル(2007年完成)だ。この「本丸」にもエコロジーの考え方が取り入れられている。外装、内装とも天然石や漆、鉄、材木など土に還る自然素材を多用している。イメージしたのは中世ヨーロッパの建物だ。

 「100年後も美しい建物、いや時代を経るほどにますます美しくなる建物を作りたかった」という。

 岡田会長の言葉にはいつもロマンがあった。それは時には実現不可能な夢物語にも聞こえたこともある。しかし実現に向けて努力を惜しまない情熱も同時に持ち合わせていた。岡田会長が残した2つの遺産は、目に見えるものが「ゲンテン」と本社ビルだとすれば、目に見えないものはロマンと情熱ということになるだろうか。

 いずれにせよ自らの哲学を貫いた名経営者がまた一人、天上に旅立った寂しさを感じずにはいられない。合掌。

                

(2015.2.16「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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