「windblue」 by MIDIBOX


高倉健が11月10日に83歳で死去し、さらに11月29日には菅原文太が81歳で死去。

 銀幕の大スターが相次いで鬼籍に入っているが、「日本侠客伝」シリーズ(1964~1971)や「昭和残侠伝」シリーズ(1965~1972)でいわゆる明治・大正・昭和初期の仁侠道を演じた高倉健の人気に陰りが出た後に、東映が1970年代に打ち出したヤクザ路線は実話に基づく「仁義なき戦い」シリーズ(1973~2000)である。

聖なる愚か者パルジファルを誘惑しようとする花の乙女たち

 このシリーズで菅原文太が出演しているのはシリーズ8作目の「新仁義なき戦い 組長最後の日」(1976年)までで、いずれも深作欣二が監督している。

 暴力と剥き出しの人間の欲望が徹底的に描かれる。このシリーズはハリウッドで多数の深作チルドレンを産んでいる点でも注目される。

 高倉健、菅原文太の死を機に、60年代から70年代前半までの日本映画界を振り返ってみると実に面白い。

 東映はこの2大スターによる任侠映画、ヤクザ映画路線。一方、東宝は森繋久繭による駅前シリーズ、社長シリーズに加え、クレージーキャッツを起用したクレージー路線で対抗。円谷プロと連携した怪獣映画というのも東宝だった。

聖なる愚か者パルジファルを誘惑しようとする花の乙女たち

 一方、日活は石原裕次郎、日本のジェームス・ディーンこと赤木圭一郎、吉永小百合などの青春映画路線で60年代を乗り切るが、経営が深刻化した70年代はロマンポルノ路線へ転向する。

 一方歌舞伎が主な収入源の松竹は晩年の小津安二郎そして木下恵介を擁し、さらに若き大島渚、吉田喜重、篠田正浩らによる新感覚の松竹ヌーベルヴァーグが話題になっていた(ヒット作がなかなか出ない山田洋次も控えていた)。

 TVの普及で1960年代の後半からすでに映画は斜陽産業化し、大映が71年に倒産しているほどだったが、60年代、70年代前半はまさに黄金期と呼ぶにふさわしい4大映画会社の競演だ。

 今見ても全く古さを感じさせない森繁久彌の社長シリーズと高倉健の任侠映画と大島渚の少々難解な観念的映画が同時期に映画館で興業されていたなどという時代はどんな時代だったのだろう。

聖なる愚か者パルジファルを誘惑しようとする花の乙女たち

 ただ懐旧の情だけではなく、なにかとんでもなく楽しくかつアグレッシブな時代のように思えるのだが。

 日本経済がまだまだ成長していた時代であった。1974年の第1次オイルショックあたりまでこの幸福な時代は続いたのだ。

 特に映画のように時代の空気をダイレクトに反映するようなタイプの娯楽芸術では、そうしたことが当てはまったのだろう。

 私はまだ小学生だったが、そんな時代の雰囲気を微かに覚えている。

                

(2014.12.7「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

PAGE TOP


banner Copyright(C) Miura Akira&Habane. All Rights Reserved.