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新国立劇場でヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」を観た(12月6日)。スタジオーネ・システムの新国立劇場は、1演目について5回公演が一般的である。中2日の休みをとって回が進むにつれて、演奏者が演目に慣れて上演の質がアップすると言われているが、この日は5回公演のうちの4回目。

 9月から指揮者の飯守泰次郎氏が芸術監督になって、新国立劇場のレベルアップは明らかだが、今回も十二分にヴェルディの傑作を堪能した。

聖なる愚か者パルジファルを誘惑しようとする花の乙女たち

王宮の夜の庭園で「ヴェールの歌」を歌うエボリ公女(第2幕)

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

 このオペラは「リゴレット」「イル・トロヴァトーレ」「椿姫」の中期三大傑作、「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」の最後の三大傑作に挟まれて、上演の機会が著しく少ない。

 バス、バリトン、テノール、ソプラノ、メゾソプラノにそれぞれ重要な役があって、5人の歌手を集めるのが一苦労の上に、フランス語版、イタリア語版、4幕版、5幕版が入り乱れた版の問題(今回の上演はイタリア語4幕版)もある。

 しかし個人的にはヴェルディの作品の中では最愛のオペラだ。

 最愛の理由は、このオペラがヴェルディのオペラの中で最も深い内容を扱っているからだ。

聖なる愚か者パルジファルを誘惑しようとする花の乙女たち

国王フィリッポ2世と王子ドン・カルロの確執(第2幕)

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

 例えば、第1幕大団円の国王フィリッポ2世と臣下のロドリーゴの対話。属国で新教徒の多いフランドル国を弾圧する王に対して、「それは墓場の平和です」と非難するロドリーゴの言葉の後に異様なフォルティッシモの不協和音が奏される。

 保守主義者とリベラリストの対決という永遠の問題だが、こんな凄絶な音楽はヴェルディの他のオペラはもちろん、20世紀に入るまで聞かれることがなかった。

 そして第3幕冒頭の国王フィリッポ2世の深い嘆きのアリアから宗教裁判長との息詰まるような対決。国の本当の支配者は国王なのか国教の最高権力者なのかという中世末期ヨーロッパの根本的な対立構図が音楽で描かれる。

 これもオペラでは類例がないのではないか。ヴェルディの知性の恐るべき高さに驚かされる。

聖なる愚か者パルジファルを誘惑しようとする花の乙女たち

国王フィリッポ2世と宗教裁判長の対決シーン(第3幕)

撮影:寺司正彦/提供:新国立劇場

 今回の上演では、フィリッポ2世はラファウ・シヴェク(バス)が歌い、ロドリーゴはマルクス・ヴェルバ(バリトン)、宗教裁判長は妻屋秀和(バス)が歌ったが、ピエトロ・リッツォ指揮の東京フィルを含め高水準の出来栄えではあったが、それぞれ16世紀のスペインの闇の深さまでは描けていたかというと十分ではなかった。私も実演ではまだ未体験であるが。

 一方ドン・カルロ役のセルジオ・エスコバル(テノール)の朗々たる歌唱はまさにこの役にピッタリ。エリザベッタのセレーナ・ファルノッキア(ソプラノ)、エボリ公女のソニア・ガナッシ(メゾソプラノ)に関しては、これ以上は望むべくもない名唱で声の饗宴に酔った。

(※右の背景画像:火刑の場で祈りを歌う乳飲子を抱いた母親)⇒

 マルコ・アルトゥーロ・マレッリの演出は、音楽の素晴らしさを邪魔しないように考えられたシンプルなものだ。目にとまったのは、第2幕の火刑の場面。

 この場面では悲しみや怒りだけではなく為政者を讃える荘重さと死者を悼み冥福を祈る清らかさが混じる実に不思議な音楽が流れる。

 マレッリの演出では、いつもは天上の天使が歌う一節を、乳飲子を抱いた母親が歌う。たしかにこの珍しい演出はより現実的で説得力があった。

                

(2014.12.18「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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