ファッション評論家の大内順子さんが10月30日に胆管癌のために川崎市の自宅で亡くなった。享年80。
ファッションに関心があるなら知らない人はいなかったのではないだろうか。特に1985年からテレビ東京系列で放送中(2002年からはBSジャパン)の「ファッション通信」の解説者として有名だった。
品の良い美声で「今晩は。大内順子です」のナレーションが今でも耳に残っている。
実に29年間「ファッション通信」に登場したが、最後の回は今年3月22日に放送された「2014年春夏パリ・オートクチュール・コレクション パート2」でナレーションのみの出演だった。
デザイナーの森英恵さんは
「『プロフェッショナルで魅力的な日本人』でした。私はパリのクチュリエールとして作品を創ってきましたが、私のルーツは日本。日本人が輝いているのを見るのは嬉しかった。
パリでの大内さんの存在は、かつてのモデルの松本弘子さん(2003年逝去)と同じ『特別な日本の女』。彼女はジャーナリストですがお互いをプロフェッショナルな存在と認めて信頼してきました。
また流行を追うわけではない、立場を表現した着こなしが、今も印象に残っています」 とその死を惜しんだ。
彼女は、1934年5月4日に生物学者の大内義郎の次女として上海に生まれている。日本に帰国後、愛知県豊橋市で育ち青山学院大学文学部英文科へ進学して在学中からモデルとして活躍した。
交通事故で顔面を負傷しそれ以降は、人前に出る時は、大きなサングラスを着用するようになったが、このサングラスとボブヘアが彼女のトレードマークになった。
余談だが、日本のみならずファッション業界には、なぜこれほどボブヘアが多いのか。もしかしたら彼女の影響かもしれない。
負傷したために、モデルからファッション評論家に転身したと思われがちだが、本人の弁によれば「もともとファッションに関して書いたり話したりしたかった」という。
ファッション評論家としては、まさに草分け的な存在だった。
日本のファッション業界が黎明期にあたる時期に単身パリ、ミラノ、ニューヨーク取材を行っていた時の苦労は並大抵のものではなかったはずだ。
「日本の人たちにファッションの素晴らしさを伝えたい」という強い使命感がなければ、日本人が軽んじられていた50年代、60年代にファッションショーの取材など続けることはできなかっただろう。
彼女といっしょに仕事をしていた「ファッション通信」のスタッフに話を聞くと、「昔の苦労話をほとんどしなかった。常に前向きに仕事に向き合う人だった」という。
苦労を重ねた結果だろうが、「ファッション通信」が始まる1985年頃には、日本を代表するファッション評論家として、パリでもミラノでも最前列に座り、デザイナーたちからも「ジュンコ、ジュンコ」と呼ばれ、ユベール・ド・ジヴァンシイなどインタビュー嫌いのデザイナーも「ジュンコが相手なら」と登場してくれたりしたという。
数々の受賞歴があるが、2001年にフランス政府から贈られた芸術文化勲章オフィシエ賞が最高の栄誉だろう。
彼女は、青山学院大学時代に画家の宮内裕(2011年逝去)と学生結婚し、一女彩(あや)をもうけた。
彩は一時、ファッション評論家として活動していた。
ショー会場で母親からファッションの極意を伝授される場面に遭遇したこともあるが、結婚後にニュージーランドで家庭に入り、ファッションの世界を離れた。
なお彼女の姪にあたる日置千弓はファッション評論家として活動している。
ファッション評論家と呼ばれる日本人は数多く存在しているが、彼女ほどの知名度を獲得し、また世界的に認められた人物は見当たらないのが実情だ。
「ファッション通信」というテレビの仕事がメインだったため、批判めいたことを番組で述べたりすることはまずなかった。
スタッフに尋ねると、「書いたナレーション原稿がちょっと辛口だったケースがないわけではない。これはどうですかねえと言うとすぐに表現をソフトにしてくれました」と述懐している。
視聴者の声を聞くと「これだけわかりやすくファッションを解説してくれた人はいない」という声が圧倒的だった。
テレビが持っている啓蒙的な大衆性をよく理解していた。
死期を意識していたのか、彼女は4月1日発売の「家庭画報」(世界文化社)5月号から6回にわたり短期集中連載「大内順子 人生の旅路」を執筆していた。
最終回は9月1日発売の10月号だった。これが彼女の最後の文章かもしれない。
なお、この連載に加筆、修正を加えた「お洒落の旅人」が12月15日に世界文化社から発売される。
彼女はプライベートな生活を「大内順子の公式ブログ」として綴っていたが、今年の5月24日が最後のブログになっている。
タイトルは「植物大好き 花大好き」。
自宅の庭に咲くバラをはじめとした花々の写真が載せられて、「季節ごとに違う花が咲くのを眺め、幸せを感じる私である」と結んでいる。
彼女の人生も美しいものを見続けた花のような80年だったといえるだろう。
葉羽 こちらのサイトには、大内順子さんへのインタビュー記事が載っています。記事掲載は2014年9月22日。今となっては、大変貴重なインタビュー記事と言えるでしょう。
(2014.11.3「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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