「windblue」 by MIDIBOX


安っぽいヒューマニズムの映画というのが嫌いである。

 ハッピーエンドの映画というものを安易に作る人間というのが信用できない。あまりに悲劇的で救いようのない映画というのも困るが。

 昔は「アメリカの映画はハッピーエンドだが、ヨーロッパの映画はなんであんなに悲しい結末なのか」と映画好きの大人はよく言っていたが、1960年代後半のアメリカン・ニューシネマの登場以来、必ずしもそうとも限らないのだが、アメリカ人に見える未来とヨーロッパ人に見える未来の色は、彩度に違いがある。

 最近、TVで映画を2本見たが、どちらもなかなかの佳作だった。そんなに安っぽくもないヒューマンな感じ(薄っぺらい言い方だと人間に対する優しい眼差し)がする。

 もしやと思って調べたら同じ監督(ラッセ・ハルストレム)だった。

ラッセ・ハルストレム

ラッセ・ハルストレム

 「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」はハルストレム監督の出世作で1958年のスウェーデンが舞台。

 10歳ぐらいの少年を主人公にした映画。肺を病み少し神経症気味の母親のために伯父夫婦に預けられた少年がたくましく生きる。

 笑いもあれば涙もあるが、とにかく安っぽくない。

「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985年 スウェーデン映画)

「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985年 スウェーデン映画)

 「ギルバート・グレイブ」は同監督が「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」の成功でハリウッドに招かれ制作した映画。

 1950年代のアイオワが舞台だが、なんと若き日のジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオが共演している。

 貧しい家族のなんともやりきれない日常を描いているが、長男役デップの自閉症の弟を演じた当時十代のディカプリオが舌を巻くような見事な演技(アカデミー賞助演男優賞にノミネート)。

 ハルストレムの名演出のせいかとも思うが、ダテにレオ様やっているわけではない。

「ギルバート・グレイプ」(1993年 アメリカ映画)

「ギルバート・グレイプ」(1993年 アメリカ映画)

 夫の自殺を機に過食症になって動けないほどの巨体になった母親が死ぬが、デップはその醜い遺体を人目にさらさぬように家に火を放つ。

 このシーンもどこかで見たように思ったらカメラマンがスヴェン・ニクヴィスト。

スヴェン・ニクヴィストとイングマール・ベルイマン

スヴェン・ニクヴィストとイングマール・ベルイマン

 スウェーデンを代表するイングマール・ベルイマン監督作品の撮影で有名な名カメラマンである。

 このニクヴィストが鬼才アンドレイ・タルコフスキイの「サクリファイス」(1986年)のラストシーンで撮影した家が燃えるシーンとそっくりなのである。

スヴェン・ニクヴィストとイングマール・ベルイマン

「サクリファイス」

 ヨーロッパ人がこうした場面で想像する炎はいわゆる「劫火」(ごうか)と呼ばれるもの。

 世界の終末に起こる大火のことだが、アメリカ人にはまず沸いてこない映像なのだ。

                

(2014.8.27「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

PAGE TOP


banner Copyright(C) Miura Akira&Habane. All Rights Reserved.