新国立劇場オペラパレスは毎年そのシーズンの最後に日本人作曲家による作品を上演している。
任期4年の芸術監督がその任期中に必ず日本人作曲家に新作オペラを委嘱することになっているのだという。日本のナショナル・シアターとして半ば義務づけられていることなのだろう。
2013-14年シーズンの掉尾を飾るのは三島由紀夫原作、鵜山仁演出&上演台本、池辺晋一郎作曲のオペラ「鹿鳴館」。2010年6月の再演になる。これを観た(6月20日)。
(※背景画像:大徳寺侯爵夫人役の谷口睦美とその娘顕子役の幸田浩子/ 新国立劇場オペラ「鹿鳴館」(2014年6月)撮影:寺司正彦 写真提供:新国立劇場)⇒
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「菊」の御絞の前で踊る者たち。痛烈な風刺になっている。
新国立劇場オペラ「鹿鳴館」(2014年6月)
撮影:寺司正彦 写真提供:新国立劇場
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日本語がオペラ言語として相応しい言葉なのかどうか、これは長らく論じられて来たテーマだ。團伊玖磨「夕鶴」、三枝成彰「忠臣蔵」、香月修「夜叉ヶ池」などを観た程度の私が言うのもどうかとは思うが、これはかなりの難事である。
今回の三島由紀夫の「鹿鳴館」も、字幕(もちろん日本語)がなければなかなか歌詞が聴きとれないのである。池辺晋一郎と鵜山仁は台本を作るにあたって翻案をせずに原文にそのまま音楽をのせている。
三島の素晴らしい日本語が味わえるのは大変嬉しいのだが、当然聴きとりが難しい。そのため三島文学を字幕で堪能しながら、ついでに音楽と歌唱を聴くということになる。
その音楽も、「鹿鳴館」であるから、ワルツと軍隊行進曲がベースのベルクの「ヴォツェック」みたいないわゆる現代音楽風。私のようなベルク・ファンには堪らないが、ダメな人も多いだろう。抒情的な場面ではもう少し親しみ易い旋律があってもいいのにとは思った。。
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影山悠敏伯爵役の与那城敬とその妻朝子役の腰越満美
新国立劇場オペラ「鹿鳴館」(2014年6月)
撮影:寺司正彦 写真提供:新国立劇場
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三島由紀夫が終戦後の米国化する日本と欧州化する文明開化の明治時代の共通点を感じて、書いた戯曲が「鹿鳴館」だが、今回このオペラを観て一番共感を覚えたのはやはり、影山悠敏=伯爵・外務大臣だった。
井上馨がモデルなのだろうが、この悪の権化とも言える影山のような存在が「歴史」を動かす原動力になっていることを改めて感じさせる。いわゆる「政治」という権力のドス黒い魔力である。
影山は言う。「政治とはこの世を動かしている百千百万の憎悪の歯車を利用して、それで世間動かすことなんだよ」。
鵜山仁の演出はこれに民衆を象徴する黒子のダンサーを配置して憎悪・怨嗟を表現している。見事な作品解釈だと思う。歌手の美声で名旋律を聴くばかりがオペラではない。
このオペラがウィーン、ミラノ、パリ、ニューヨークなどで上演される可能性はほとんどないが、こうした「文学的」なオペラがもっと日本で上演されたらと思う。
(2014.6.27「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)
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