初台の新国立劇場で公演中のオペラ「死の都」を観た(3月15日)。
昨年発表された今シーズンの演目の中でもとりわけ注目していたオペラだ。16周年を迎える同劇場で初めて取り上げられるコルンゴルト(1897~1957)の代表作である。
アマゾンでCD(ラインスドルフ指揮ルネ・コロー主演)を購入(ロンドンから空輸のため2週間もかかった上に日本語歌詞なし)して、かなり聴き込んだ。
しかし聴き込むにつれて、このオペラ、本当に面白いのかな?という疑問が湧いてきた。
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「死の都」第1幕 (撮影:三枝近志 提供:新国立劇場)
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妻を失くした主人公パウルが街で亡き妻そっくりの女性ダンサーのマリエッタに遭遇し、恋に落ちる。
マリエッタを家に招き、一夜をともにするが、妻の遺髪を弄んだマリエッタをパウロはその遺髪で絞殺。しかし、この一連の出来事は実は夢だった。
パウルは妻との思い出に溢れた街(ベルギーの古都ブルージュ)を離れて新しい人生を始めることを決意する。
落語で言うところの「夢オチ」(実はこれ夢でしたというサゲのある「夢金」とか「天狗裁き」などのネタが有名)。これはちょっと反則ではないか。
加えて主人公パウル(トルステン・ケール)は全編出ずっぱりという単調な設定。なるほど傑作と言われながらこのオペラ、あまり上演されない理由がよくわかった。
一体、どういう上演になるのか、ある種の不安を抱いて劇場へ。
しかし、これが見事な舞台だったのである。
主役はパウルでもマリエッタでもなくて、妻との思い出の詰まったパウルの部屋とブルージュの街という演出(カスパー・ホルテン)・舞台(エス・デヴリン)・照明(ウォルフガング・ゲッベル)だったのだ(フィンランド国立歌劇場からのプロダクション・レンタル)。
そしてそれが観る者を陶然させるほど見事な出来栄え。
当たり前だが、オペラというのはCDで名演奏を繰り返し聴いても、その作品の本質がわかるわけではない。
生身の人間が、実際の舞台で歌い演じるのを見て、初めて感得できるライブな体験でこそその本質に到達できるのだということを改めて知る。
まずなんと言っても大掛かりで大胆で緻密な舞台に惹かれた。それは、白を基調にした第1幕、青を基調にした第2幕、赤を基調にした第3幕と変化していくが、息を飲むような美しさなのだ。
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「死の都」第2幕 (撮影:三枝近志 提供:新国立劇場)
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(※右画像:「死の都」第3幕)⇒
こういう舞台は最新の大型スクリーンでもその質感を感じとるのは難しいだろう。もちろん、オペラのセットなのだから、そこに歌と管弦楽が融合してひとつの芸術として完成する。
とにかく舞台・照明のマジックに魅せられて(特に第2幕と第3幕)しまったが、歌も管弦楽も上々の出来映え。一種の心理劇ということもできるオペラだが、また演出が実に精妙なことも付記しておく。
特に普通の演出では声だけで舞台に姿を現さない亡き妻を実際に登場させる(いわゆる幽霊)演出は成功していた。が、マリエッタ役の歌手(ミーガン・ミラー)とマリー役の女優(エマ・ハワード)の体格が違いすぎていたのは、タマにキズか。
それはともかく、総合芸術としてのオペラの真価を実感できる公演だった。
(2014.5.11「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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