一昨年あたりから、ミューザ川崎でコンサートを聞くようになって、年に3、4回ほど川崎駅で降りるようになった。昨年からは川崎駅周辺の有名ラーメン店や飲食店で飲食するようになった。
今回は、川崎駅東口から徒歩10分のつけ麺・ラーメン専門店「三三㐂(さんさんなな)」(食べログ3.71、川崎で一大ラーメン勢力「玉(ぎょく)」グループのひとつ)で30分間並んで食べた。
そのレポートは別途紹介するが、その店の横の電信柱にこんな表示があった。(※右の背景画像)⇒
「三三㐂」はいわゆる旧東海道沿いにあるのだ。350m先というのはちょっと微妙な距離だが、意を決して行ってみることにした。350mというが徒歩で7分ほど。
歩いているオバチャンに尋ねてやっと見つける。「あそこの床屋(バーバー505)の隣よ」。
床屋の隣
川崎市による観光案内は以下の通り。
◆『芭蕉の句碑』の観光案内(川崎市)
交通 JR・京急八丁畷駅より徒歩1分 基礎情報
■『麦の穂を たよりにつかむ 別れかな』 元禄7年(1694)5月、故郷伊賀に向かった松尾芭蕉は、見送 りにきた弟子たちと川崎宿のはずれ(京口)近くの茶屋で別れを惜しみ詠んだ句である。俳聖・松尾芭 蕉の足跡をしるした句碑で、文政13年(1830)俳人一種によって建立された。
■川崎市内には5基(他に稲毛神社、川崎大師平間寺、高津区の宗隆寺、宮前区の影向寺)、県内では 60基を超える数多くの芭蕉の句碑があるが実際に句を詠んだ地に建てられた碑は少なく大変貴重なもの とされる。江戸時代の川崎宿を偲ばせる最も記念すべき遺産の一つである。

由来・エピソード
■松尾芭蕉は、正保元年(1644)伊賀上野(三重県)の生まれ。江戸に下り、深川の芭蕉庵に住んでい た。元禄7年、芭蕉が江戸から故郷へと旅立つ際に、弟子たちは芭蕉とともに六郷川(多摩川)を渡 り、川崎宿に入った。なかなか別れを告げられない一行はついに京口(京都側の宿場の入り口)までさ しかかってしまった。そして腰掛茶屋で別れを惜しみながら句を詠み合ったとされる。
■弟子たちの詠んだ句に対して芭蕉が返したのがこの句である。芭蕉はこの年の秋に大阪で帰らぬ人と なり(享年51)、弟子たちにとってはこの場所が本当に最後の別れとなったのである。句碑は元々京口付近に建て られたが数度の移動を経て現在の場所に落ち着いたという。
■句碑の周囲には色とりどりの花々が植えられ季節ごとに通行人の目を楽しませている。日頃の維持管 理は日進町町内会「芭蕉の碑保存会」によって毎月10日・20日・30日と定期的な清掃や植栽の手入れな どが行われている。往時の風情を感じてもらおうと毎年「麦」の種播きも熱心に続けられている。
■平成16年(2004)にリニューアルされた日進町町内会館は芭蕉の句碑にちなみ「麦の郷」と名づけら れ、会館の前には江戸時代の川崎宿の姿が描かれた「東海道分間延絵図」の銅版が設置されている。銅版 は昭和40年代に日進町町内会婦人会が市教育委員会の協力を得て作製したもので、会館の建替えの際に 倉庫内から発見されたという。
補足・その他 関連シート
■京口付近には平成17年(2005)に「芭蕉ポケットパーク」が整備され、弟 子達の詠んだ句が記された石盤が置かれている。
■稲毛神社の参道脇にも平成6年(1994)10月、芭蕉没後300年を記念した芭 蕉の句碑が建てられている。 |
この句碑のほぼ目の前が八丁畷駅。難読駅名のひとつ。「はっちょうなわて」と読む。京浜急行とJR南武線(正確には南武線浜川崎支線)の2線が乗り入れるアクセスのいい駅だ。
八丁畷駅
実はこの八丁畷駅周辺は川崎の本質が感じられる街だ。今ではマンションが立ち並ぶ住宅地だが、その地区の日進町はかつての「工場の街」川崎のドヤ街(日雇い労働者の簡易宿泊所)として、横浜の寿町や浅草の山谷、釜ヶ崎(あいりん地区)、尼崎のような存在だ。
このあたりは万引き少年が店の者に追われて踏切で轢死した事件など踏切事故が多発したり、11人が焼死したドヤ街での放火事件(2015年)など「川崎の寂しさ」「川崎の哀しさ」がにじみ出ている。「死の街」「滅びの街」とまで言えるかもしれない。
また「なわて横丁」というウラビレタ居酒屋街がある。もう閉鎖されたが八丁畷ショッピングセンターの「遺影」も心に沁みるのだ。かつては東芝の企業城下町にとどまらず、湾岸部には製鉄関連の工場が立ち並んでいた「工場の街」川崎であるがもうその「面影」の街になりつつある。
夜のなわて横丁
八丁畷駅周辺ではないが、京浜急行川崎駅近くには「どぶろく横丁」、最近解体されたが天然記念物級だった幸区(鹿島田、矢向、京浜急行川崎駅のいずれかからも徒歩30分)の「小向(こむかい)マーケット」なども「死の街」川崎の名所だった。
そして、川崎競馬場、川崎競輪場とギャンブル施設もあり、吉原(浅草)、福富町(横浜)と並ぶ有名ソープ街の堀之内も控えているのが川崎だ。しかし競馬、競輪、ソープなど不景気風が吹きまくっている昨今ではいずれも厳しそうだ。
そう言えば、私は大学生の時「川崎区」ではなく「中原区」だったが、川崎市民だったことを思い出した。あまりいい思い出ない。