The Floating Continent 1
こんにちは。「ロマンサイエンスの夢先案内人」岸波です。
貴方をまたも“the roman science of the cosmos”の世界へご案内します。
昔、日本列島はアジア大陸と地続きだったということを本で読んで、大陸の不思議というものに魅了された記憶があります。
また、一夜にして海中に没したというレムリア大陸やアトランティス大陸の謎、かつて南極大陸は緑為す大地であったとする「神々の指紋」なども夢中になって読みふけったものでした。
我々が踏みしめるこの不動の大地・・・それは、本当は「不動のもの」ではなく、地球が玉子だとすれば、表面のほんの薄皮に過ぎない「地表」に、たよりなく浮かんでいる存在だったのです。
そんな、少年の日の驚き・・・。
でも、大人になった今は、さらに驚くべき真実を知ることになりました。
今回のEpisode3 と次回の後編では、数億年前に引き裂かれ、果てしない漂流を続ける大地とそれを遥か彼方から見つめ続けてきた恋人の話についてご紹介したいと思います。
1 「彼方」しか見えない男たち
“大地は扁平な円盤で水の上に浮いており、天球はお椀のようにその上空を覆い、天と地を原始の水が繋ぐ”という宇宙観と“万物は水から作られている”という「水一元論」を唱えたのは、ギリシャ時代の哲学者タレスでした。
タレスは、ギリシャ自然哲学の祖と呼ばれ、天文学を最初に体系的に論じた人物と言われていますが、ある時、天空の小熊座を眺めながら穴に落ちてしまい、奴隷の女性にこうひやかされたと言います。
「あなた様は、熱心に天を知ろうとなさいますが、ご自分の面前や足元のことは、お気づきにならないのですね!」
そう言えば、僕や熊ちゃんや康宏くんの愛するまっさん(さだまさし)は「まほろば」の中でこう歌っていました。
「遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った分かれ道・・・」
ああ、やはり男は、遥か彼方のロマンに心奪われてしまう生き物なんだろうな。
「まほろば」 詞・曲さだまさし
春日山から飛火野辺り ゆらゆらと影ばかりなずむ夕暮れ
馬酔木の森の馬酔木に たずねたずねた帰り道
遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った分かれ道
川の流れはよどむことなく うたかたの時押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日 再び戻る今日は無い
例えば君は待つと 黒髪に霜のふる迄
待てると云ったがそれは まるで宛名のない手紙・・・ |
そのタレスは、競技場で観戦している最中に、禿鷹が空から落とした亀に当たって命を落としたと伝えられています。
この話を聞いて、「昼間も空を見上げていれば、そんなことにはならなかったのに、世の中ままなりませんわね。」と言ったのは楠田枝里子さんです。
女性の感性って、なんてまあ・・・いや、その先はやめておきましょう。
ところで、これとは逆に、天空に地球を見上げるイメージをモチーフにして、素晴らしいラブストーリーに結実させた作家がいます。
『2001夜物語』・『宗像教授伝奇考』などを著わした北海道出身のSF漫画家星野之宣氏です。
2 地球の残像
星野之宣の描いたSF掌編「残像“An after
image”」では、別れた写真家の妻が月面の隕石事故で亡くなり、これを弔うため月へと赴く男が主人公でした。
別れたのは20年も前。その時代には“永久就職”の結婚スタイルはもはや過去のもので、男女は、2~2年の“契約結婚”でどんどん伴侶を替えていく。
・・・そんな時代が本当に来るのかも知れませんね。
でも、宇宙写真の専門カメラマンであるその男が月面に赴いたのは、彼女の死を悼むためではなく、彼女の残した“謎の遺品”の意味をつきとめるため。
かつて妻であった女性、鏡子の遺品の中には、何と“2億年前の地球の写真”が残されていたのです。
この“ありえない写真”の謎を追って、鏡子の月面の墓標に向かうと、案内役をかって出てくれた元同僚の女性から、鏡子は別れてから20年間、誰とも再婚しなかったと告げられます。
惑星間を仕事で廻っていた自分にとって、彼女との結婚生活は実質一年足らず。
「たった一年の思い出を20年間抱いて一人身でいる・・そんなはずがないではないか」・・・男は自問自答します。
鏡子が命を落とした場所に到着すると、鏡子が地質調査を行っていた古いクレーターには、なにやら表面全体を細密なデジタル写真に収めていた作業の跡が窺われます。
作業コンテナの中へ入ると、鏡子の子供の頃のバレエ・シューズが大切そうに、しまってあるのを発見し、ふと忘れていた鏡子との会話を思い出します。
「このシューズをねだって買ってもらったのに、結局バレエを踊れなかった。
人間って、必ずどこかに運命の分かれ道があるんじゃないかしらね?
それを踏み違うと、二度と取り返しがつかない方へ行ってしまう。
そして、悔いや未練や名残りだけがいつまでも取り残されて・・。」
鏡子は、自分との時を過ごす僅かな時間に、必要以上に快活に振る舞おうとしていたような気がする。そして旅立ちの朝には決まって、狂ったように引き止めようとする。・・・そんな生活を重荷に感じたこともある。
でも、そんな彼女が確かに愛おしかった。・・・突然、深い悔恨と切ない想いが湧き上がる。
コンテナのコンピュータには、古いクレーターの組成分析記録が残されており、それはシャーゴッタイト(玄武岩系隕石)とレゴリス(月面土)が衝突の高熱で溶け合った場合の組織組成を表していました。
写真家である彼には、ピンとくるものがありました。それは感光性ガラス状物質~写真の感光物質でした。
月面土のガラス質レゴリスは、隕石衝突の刹那、天然の写真メカニズムで天空に煌々と輝く「満地球」の姿を焼き付けていたのです!
そして、きっと鏡子は、一つ一つでは意味を成さないガラス状物質の画像データをコンピュータで画像解析し、2億年前の地球の姿を写真に復元したのでしょう。
おそらく外にも「地球を焼き付けたクレーター」があるに違いありません。月だけが数十億年にわたって、ひっそりと刻み続けてきた地球の面影が・・・。
同行した女性は、空の満地球を見上げながら彼に言います。
「私たち、ムーンベースの人間は、一日に何度も地球を見上げるの。この荒涼とした月の風景の中で暮らしていると、そうしないではいられないのよ!
人が月へ来るのは地球を忘れたいためじゃない。忘れたくないから来るものなのよ! 鏡子は貴方のことを愛していたと思うわ。20年間ずっと・・・」
鏡子が隕石に打たれた場所にもレゴリスがありました。もしや、と思い、その感光物質が捉えた画像をコンピュータで処理すると、そこには・・・。
煌々ときらめく満地球を横切るように、隕石に吹き飛ばされた鏡子の陰影が、まるで天女のように刻まれていました。
仮説は正しかったのです。
彼は、鏡子の真実の愛に初めて気がつきます。と同時に、深い悔恨が彼をおそう・・・。
しかし、この話はここで終わらないのです。
ムーンベースに戻った時に、同僚の女性が言います。
「言わないでおこうと思ってたんだけど・・・」
「え?」
「ここは、育児室・・・子供の世話をしている女性が見えるでしょ?
あの人もここで生まれ育ったのよ・・・。 」
この後、この話には、決して忘れることのできない感動のエンディングが待っています。いつの日か、この珠玉の名作を貴方自身の眼で・・・。
3 超大陸パンゲアの謎
ところで、鏡子の写真には、2億年前の地球がどのように写っていたのでしょうか?
地球上の地質年代の化石を調べると、不思議な現象があることが知られていました。
海洋によって、互いに遠く隔てられた大陸に同一種の生物化石が見つかったり、同一の属や科に属する現存種がいたりするのです。そこで、かつては大陸どうしが、陸橋のような地形で結ばれていたのではないかと考えられて来ました。
しかし、陸橋で結ばれていたにしては、その位置はあまりにも遠く、海底にもそのような痕跡は認められなかったのです。
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アルフレート・ヴェーゲナー
(Wikipediaより)
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1910年頃、ドイツの気象学者ヴェーゲナーは、南米大陸東側の海岸線とアフリカ大陸の西海岸の海岸線とがぴったり重なることを発見しました。
しかも、重ねられた両側からは、同じような古生代末期ベルム期(約2億5千万年前)の氷河跡や同種の陸上動物の化石が発見されていたことから、もしかすると二つの大陸は、もともと一つの大陸が分裂して移動したのではないかと考えました。
そして、世界の同じ地質年代から発見される化石の類似性をもとにして、六つの大陸を組み合わせてみると、何と一つの巨大大陸に収束したのです!
・・・気宇壮大なジグソーパズルの完成です。
ヴェーゲナーは、この超大陸を“パンゲア”と名付け、大陸が海の上を浮遊して動いたのだと推論しました。
これが有名な“大陸移動説”です。
しかし、ヴェーゲナーは大陸を移動させる力が何に由来するのかを説明できず、結局この説は、荒唐無稽な話としてアカデミズムから轟々たる非難を浴び、そして忘れ去られていきました。
プラトンの唱えた大西洋に浮かぶ古代大陸アトランティスをはじめ、インド洋のレムリア、太平洋のムー大陸のように、誇大妄想狂のデマゴーグと一刀両断されたのです。
さあ、それでは一体、鏡子の残した写真にはどのような地球が写されていたのでしょう?
ヴェーゲナーの考えは単なる法螺話として潰えてしまうのでしょうか?
その答えは「後編」で・・・。
/// end of the “Episode3「浮遊大陸/前編」”
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《追伸》 2003.10.2
another world.のバックナンバーを、とりあえず全編、Web版でアップしてしまおうと、急ピッチで作業を進めています。
性格隠れA型の僕としては、どうも、バックナンバーをきちんとしておかないと、気持ちが悪くて新作に没頭できない気がするからです。
でも、今、半年前くらいのメール・エッセイ版を読み返しますと、短い!・・・そして文章がつたなくて恥ずかしい想いがします。
事務的な文章だと、「定型句」があったり、様式にのっとったり、いわゆるマニュアルどおりに書きますので、要するに「簡潔に要点を押さえて」書けばいい。・・・結構、すらすら書けてしまいます。もちろん、感情などを込める余地はありませんね。
でも、「解説」でもない「レポート」でもない「エッセイ」では、やはり自分の受け止めた「感動」や伝えたい「メッセージ」を盛り込まなくてはならない。
そういうことって、恥ずかしくありませんか?
昔は、たくさん書いていました。まっさんに憧れて、作詞も作曲もやっていましたから。そして、「文語体」というところが僕の詞の特徴でしたから、今回、挿入したまっさんの「まほろば」のような感じのものが多かった気がします。
しかし、長く公務員やっていますと、職業病というのでしょうか、新聞記事のような簡潔な文章が最も必要とされますので、散文的な文章って書けなくなってしまうのです。
だけど、自分の担当する業務によっては、突然、そういう文章を書く機会がやってきたりします。一番、燃えたのは人事委員会で職員採用パンフレットを作った時と、土木部初めての独自長期計画「オリオン・プロジェクト」の前文を書いた時ですね。
「お前、自分の文章に酔っているだろう」って、スルドイ友人から指摘されてハッとなることがありますが、本当はもともとそういう文章、いや「詞」の方が好みなのかも知れません・・・。
だって、僕は涙もろくて、今回紹介した「残像」でも思いっきり泣きましたし、もみぢ食堂でラーメン食べながら「ビッグ・コミック」読んでいても「ビッグ・ウィング」なんかでハラハラと落涙してしまうのですから・・・。
では、また次回のanother
world.で・・・See
you again !
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be continued⇒ “Episode4 coming soon!
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