3月17日、サダム・フセインは新型ミサイル“アル・フセイン”で、イラン領内の無差別大量爆撃を行う決断をし、世界に向かって通告した。
「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ全ての飛行機を撃ち落とす。」
イランに居住していた外国人たちはパニックに陥り、国外退去を急いで空港に押し寄せた。
イラン在住の日本人も慌てて空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることが叶わない。
この時世界各国は、それぞれの自国民を救うため、直ちに首都テヘランに向けて救援機を差し向けた。
だが、日本政府はすばやい決定ができず、日本人215人は空港に取り残されたのである。・・・もう、日本からの救援は来ない。
通告の期限が迫る中、もはや空港の日本人たちには、どうすることもできなかった。
間もなく、米国の支援を受けたサダム・フセインによって、テヘランを初めとするイランの中枢都市への無差別大量爆撃が開始される。
泣き叫ぶ子供たちを前にして母親は慰めるすべも持たず、日本人たちは絶望に包まれた。
・・・その時である。
西の空から、通告もなしに空港へ向かってくる二機の白い翼があった。
機体には「トルコ航空」の文字。
空港に降り立った飛行機は、日本人215人を全員収容すると、成田空港に向かって飛び立った。タイムリミットの1時間15分前の出来事であった。