岸波通信その95「男の慟哭~星野仙一~」

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Present by 葉羽
「言葉にできない」 by Gallery Oto
 

岸波通信その95
「男の慟哭~星野仙一~」

1 言葉にできない

2 愚直可憐

3 男の慟哭

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  Impressed Stories 【2018.3.25改稿】(当初配信:2004.1.24)

運転手さん、5分間だけ泣かせて下さい。
  
・・・星野仙一

近頃、ますます涙腺が弱くなったのでないかと思えてきました。

 考えてみれば、昔から映画を見ては泣き、小説を読んでは泣き、「涙を見せる男は信用できない」という言葉を聞いて、悔しくてまた泣いたものです。

←(おいっ!)daddydaddy

高見盛の“気合入れ”

高見盛の“気合入れ”

 でも、最近は、CF(コマーシャル・フィルム)で泣いたり、新聞記事で泣いたり、昼食に、もみぢ食堂のワンタンメンを食べながら、ビッグコミックに涙したりということで、ちょっと感動話に弱すぎるのではないか、などと悩んでいたりします。

 だけど、まあいいか。

 感動できることはとても大切。みずみずしい感受性を持ち続けている証拠だし、そもそも感動のない人生なんてつまんないじゃないですか。

 ということで、今回の通信は、最近、僕が出会った感動をお裾分けしたいと思います。

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1 言葉にできない

 あなたに会えて ほんとうによかった

 嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない

 la la la ……  言葉にできない

「言葉にできない」小田和正

 車に乗っていて、ふいにカーラジオから小田和正の「言葉にできない」が流れてきた。

 妻と二人で耳を傾ける。

 ついさっきまで、冗談を言い合っていたのに、思わず話すことを止めてしまった。

 明治生命のテレビ・コマーシャルに使われていた曲である。テレビでは2001年の4月以降、二月に一度くらいしかオン・エアされていない“たったひとつのたからもの編”だ。

 その数少ないオン・エアを二人とも見ているというのがそもそも奇跡的なことだが(←我が家はあまりテレビを見ない)、この僅かなオン・エアに対して、全国から感動の投書が1000件以上も寄せられているというのも驚くべきことだ。

 登場しているのは、埼玉県に住むご夫妻とその息子の秋雪くん。

 秋雪くんは、生後一ヶ月でダウン症と判明し、約一年の余命と医者から告げられた。

平成4年10月19日 神様からの贈り物が届きました。

 せっかく授かったかけがえのない命の灯が間もなく消えて行く…それが避けられない運命だと知ったご両親の痛みは、いかばかりであったろうか。

 食べる、排泄する、泣く、寝る…人間にとってごく当たり前の行為、その一つ一つが彼にとっては大仕事だ。そして、付きっ切りでサポートするお母さんにとってもそれは同じことであったろう。

 それでも少しずつ大きくなっていく姿を見る喜び。秋雪くんは、何を見ても何をしてもうれしそうにしていたという。

 秋雪くんは、ご両親の努力の甲斐もあり、小学校に入るまでその小さな命を永らえた。

 そして、1999年1月に神に召され、6年間の短い生涯を閉じた。

 フィルムには、ご夫妻が写真に収められた秋雪くんの成長の記録、懸命に生きようとするその姿が残されている。

 運動会にも出場し、お母さんに支えられながら、最後まであきらめないでゴールを目指した。

 それを観衆の誰もが応援してくれた。その時、みんなの心が一つになったのだ。

運動会…一歩、一歩 ゴールをめざしました。

 最後のシーンは、秋雪くんが亡くなる前年の夏、家族で行ったという海岸で撮った写真だ。

 お父さんが秋雪くんを抱きしめる姿に「ありがとう」の文字・・・声にならない言葉が聞こえてくるようだ。

 ほんの60秒たらずの短いCFだが、画面に引き込まれるうち、いつしか胸が熱くなって来る。

 子供を先に逝かせねばならない親の気持ち・・・おそらくそれは、わが身を身を引き裂かれる以上の苦しみであったに違いない。

 しかし、ご夫妻は、その悲しみさえも“感謝”の気持ちに変えていった。

秋雪と過ごした6年の日々。
あなたに出会わなければ、
知らなかったこと…。

ありがとう。

 最後のシーンに、小田和正の名曲『言葉に出来ない』のフレーズが重なる。

あなたに会えて ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない・・・

 この温かい感動は何だろう。命の尊さや家族の絆という言葉が心をよぎる。

 僕たちは、カーラジオから流れる曲を聴きながら、そのシーンを思い出していた。

 ・・・いい話だ。

 言葉にできない“万感の思い”とは、まさにこういうことを言うんだろうな。

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2 愚直可憐

JUN「岸波は相撲は見ないのか?」

台湾のJUNとチャットしていて、ふいに彼が言う。

「もともとテレビはあまり見ていない。それにスターもいなくなったんじゃないのか?」

JUN「そうか…日本を離れていると何故か恋しくなってな…。」

 JUNはそれ以上言わない。昔から押し付けがましいことは言わないヤツだった。

 でも今は、彼の言いたかった気持ちがよく分かる。高見盛を知ってしまったからだ。

 高見盛…不思議な力士である。

 あまり強くはない。むしろ“弱い”といったほうがいいのかもしれない。

 事実、稽古場では無茶苦茶弱い。先日も東関部屋の稽古場で、来場所デビューの新弟子と対戦して6勝2敗。内容は突き出されたり、がっぷり四つで寄り切られたり・・・完敗である。

 高見盛が入門以来、稽古の相手を務めている潮丸がこう言う。

「おれもカトちゃん(東関部屋での愛称)と本場所の土俵で当たってみたいよ。強いらしいからなあ。カトちゃんの本当の強さ、知りたいよ。」

 そう。高見盛は本番の土俵の上でなら・・・やっぱり弱い。この初場所も11日目で負け越しが確定した。

 それにもかかわらず、彼の人気は抜群だ。負けが込んでも、懸賞の本数はむしろ増えていく。

 何故なのだろう?

 彼の制限時間一杯で見せる例の派手な“気合入れ”のパフォーマンスのせいか? それとも“高見ロボコップ”の異名をとる花道での変な歩き方のせいか?

 いや。彼は、決してパフォーマンスでやってるのではない。それをしないと、“緊張で足がブルブル震え出してしまう”のだそうである。

 実は小心者なのだ。

 そして彼は、いつも一生懸命だ。

新弟子との立ち稽古に、いいとこなしの高見盛。

 彼は本当に不器用である。

 彼の兄は、庭で野球の練習をした時のことを思い出して言う。

「右で打つのに、右足をあげて打ったのには驚いたなあ。」

 高見盛は相撲が好きでこの道に入ったわけでもない。身体は大きかったが、気が優しくて人と争うことが嫌い…いつもいじめられっこだった。

 そんな彼が相撲と出会ったのは、津軽時代、小学校4年の時に、担任から「相撲部に入れば、余った給食の残り全部食っていいぞ」と言われたのがきっかけだそうである。

 根っからの相撲好きでもなく稽古場でも弱い彼は、たまたま県代表の一人が怪我で欠場した代わりに全国大会に出ることになり、あれよあれよと言う間に中学横綱になってしまった時は、誰もが「まさか」と絶句したそうである。

 そのことで、相撲の強豪、弘前実業高校から声がかかることになるが、彼は好きでそこに進学したわけではない。気が優しくて、断り切れなかったのである。

 彼は、弘前実業でもいじめられっこだったが、あまりの事に一度だけ本気で“キレた”ことがある。

 授業中に、突然、自分の机を両手で掴み上げ、仁王立ちになっていじめる生徒を睨み付けたのである。

 しかし、そこまで。誰かが止めてくれるのを待っていたのだ。

五連敗の高見盛。親方に
「負けてもいいから 前に出ろ!」
と叱られる。

自らを鼓舞することも時としていいなと思う高見盛に

 長年勤め上げた工場をリストラされ、ハローワークに職を求めたら「50歳以上」の求人がなく、惨めな思いに打ちひしがれていた人物が朝日歌壇に投稿した歌だ。

 負けても負けても勝負に立ち向かってゆく高見盛を見て、気持ちが動かされたのだそうである。

 東関部屋や津軽の実家には、登校拒否の学生が高見盛の姿に励まされて学校に行くことを決意したという手紙が寄せられる。

 不退転の男。負けてもなお正々堂々。

 いい、おとこじゃないか。

 太宰治の『津軽』に、“津軽人の愚直可憐”という表現が出てくるそうだ。

 今の日本、本当に求められているのは、高見盛のような“愚直可憐”かもしれない。

久々の白星をあげ、ロボコップと化す高見盛


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3 男の慟哭

(球場をぐるりと見回しながら・・・)

 皆さん、良かったね!!

 選手も本当に18年間という苦しい時代を乗り越えて、皆さんの前で「夢」に日付を書けることがとうとうできました。

 寒い日から、この暑い甲子園でも、必死になって、ファンのために、そして18年ぶりの夢をかなえてくれた選手にもう一度拍手してやってください。

 そして今、この甲子園に残念ながら来られなかった、そして東京のタイガースファン、名古屋のタイガースファン、全国のタイガースファン、本当にありがとう!!

 最後は本当にやきもきさせましたけど、私も余裕のあるようなコメントを出してましたけど、腹の中は煮えくり返ってイライラしてました。

 でもこうして甲子園に帰って、ようやく自分の家に帰ってきたな、と。そんな落ち着きの中で、赤星が決めてくれました。

 いろいろな意味でシーズンはまだ終わっておりません。

 10月中旬から始まる日本シリーズ。またこうして皆さんの声援をバックに、選手は日本一を目指して戦い抜きます。

 ありがとう! 本当にありがとう! ありがとう!

〔星野仙一監督の甲子園での優勝談話〕

 男・星野仙一。

 彼の行動にはいつも気持ちを熱くさせられる。

 この甲子園での優勝談話の後も、星野監督は報道陣に向かって「ありがとうございました」と深々と一礼。

 勇退を既に決めている事を全員が知っている報道陣の中からは、声にならない嗚咽が漏れたそうだ。

 目先の一勝よりも選手との信頼関係を重んじる采配。そのエピソードは枚挙にいとまがないが、かつて中日が神宮球場で優勝を決めた試合もそうだった。

星野仙一

 優勝をかけた試合の先発を任された中日の山本がバント処理を誤って一塁に悪送球、それを無理に受けようとした一塁山崎が腕を骨折する事態になった。

 山崎は、中日をここまで牽引してきた打の要。自分の悪送球で彼を骨折させた先発山本の心中はいかばかりであったか・・・。そのショックもあってか、山本の投球に乱れが見え始め、逆転を許しそうな雲行きとなる。

 しかし、星野監督は微動だにしない。

 仮に、ここで交代させて優勝したとしても、山本はどんな気持ちでそれを迎えることになるのか?

 山本の気持ちの中では、山崎に「すまない」と思う気持ちが一杯になっている。ならば、山本が、自分でここを踏ん張って優勝に導くことが、山崎への本当の謝罪になるはず。

 星野監督は、そういう山本の想いが痛いほど分かっているからこそ、動かなかったのだろう。この場面で、彼以外のどんな男にこういう采配ができるだろう。

星野仙一

 ところで、星野監督が亡くされた奥様の写真をいつもポケットに入れて連れて歩いているのは有名な話だ。

 奥様は、星野氏が中日の監督であった時代に、中日の優勝を誰よりも信じ、夫を信じた人であったが、優勝を決める目前に病でこの世を去ってしまったのである。

 中日優勝の際も、そして、今回の阪神優勝の際も、星野監督は奥様と一緒に闘っていた。

 だが・・・

 次の秘されたエピソードは、あまり知られていないと思うので、最後にご紹介をしたい。

 それは、東京新聞(中日新聞同系列)の販売担当のKさんという方が、あるタクシー・ドライバーから聞いたという話だ。

 中日ドラゴンズが優勝を決めた数日後のこと。北関東を担当するKさんがタクシーに乗ると、運転手が「ジャイアンツが優勝できなくて残念でしたね」と話しかけてきた。

 北関東はジャイアンツ一色の土地柄であり、Kさんも当然ジャイアンツ・ファンだろうと思ったらしい。

 「いや、私はドラゴンズの関連会社に勤めている者だ」とKさんが言うと、運転手は話し出した。

 そうですか、ドラゴンズの関係者でしたか?

 実は、私も平成9年の暮れからドラゴンズの熱烈なファンになりました。特に星野監督さんの男気が好きなんです。

 私は生まれた時からジャイアンツの洗礼を受けて育った者です。両親も弟も親戚もみんな、野球はジャイアンツでした。

 私の弟は名古屋で葬儀社の運転手をしておりまして、偶然星野監督の奥さんの葬儀の霊柩車の運転をさせて頂きました。

 出棺の際、監督は大勢の弔問客に涙をこらえながら・・・

『妻はナゴヤドームでお父さんの胴上げを見たいね。それまで生きていたい、と言い続けていました』

・・・と挨拶されたそうです。

 いよいよ火葬場へ出発の段になって、星野さんは後続の運転手に何事か話し、霊柩車には自分一人にしてくれと言って出発しました。

 星野さんは弟に『運転手さん、ナゴヤドームヘ行って下さい』と・・・

 前例のないことに、弟は「ナゴヤドームですか?」と驚いて聞き返した。

 霊柩車はそぼ降る小雨の中、ドームを一周し、雨よけのひさしのある所に止めた。監督は・・・

『運転手さん、家内の棺を出したいので、手伝って下さい。全部下ろさなくてもいいですから、下ろせる所まで下ろしたいのです。』

・・・弟は何事が起きるかと恐れながらも、それに従った。棺は頭の方を車にかけ、斜めに下ろされた。すると監督は・・・

『運転手さん、5分間だけ泣かせて下さい』

・・・と言って、棺にすがりついて号泣した。

『なぜ死んだんだ!
 ドームでパパの胴上げを見たいね、それまで頑張ると約束したではないか。
 かあさん、なぜ死んだんだ!』

 弟は感動に打ち震えながら、監督に負けないくらい泣いたとのことである。

 監督は、『必ず優勝して見せる。かあさん、見守っててくれ』と言って、火葬場へ向かった。

 弟はその年の暮れ、正月前に休暇で帰った際、親戚が集まった席でこの出来事を涙ながらに語った。

 弟はこの日のことは一生忘れないと言ったが、私たちだって星野ドラゴンズを決して忘れない・・・。

〔あるタクシー・ドライバーの話〕

 この話を聞いたKさんも、それを話す運転手さんも、男泣きに泣いたそうである。

 男・星野仙一!

 貴方が残してくれた感動を、僕たちは決して忘れないだろう。

 

/// end of the“その95 「男の慟哭~星野仙一~」” ///

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《追伸》

「オェー。オェー。」

 取り組み後の恒例。高見盛は土俵での緊張のため、支度部屋に戻ると必ず風呂場で吐くのだそうです。よっぽど、勝負の世界に向かない人なのかもしれません。

 また、高見盛は記者泣かせでもあります。

 何故か?

 それは、インタビューの応答がいつもワン・パターンで変化がないからです。

 たまに白星を上げても・・・

「うれしいっす。残り7番、気持ちを引き締めてがんばります。」

←(この「残り○番」の数が変わるだけなんだな。)daddy

 優しい男は、今日も胃液を吐きながら土俵で頑張っているのでしょうか。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

男・星野仙一

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To be continued⇒“96”coming soon!

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【岸波通信その95「男の慟哭~星野仙一~」】2018.3.25改稿

 

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