岸波通信その27「ラブユーフォーエバー」

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Present by 葉羽
「月の雫」 by TAM MUSIC FACTORY
 

岸波通信その27
「ラブユーフォーエバー」

1 ハートのコミュニケーション

2 ボディ・ランゲージ

3 沈黙のコミュニケーション

4 ラブユーフォーエバー

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  I love you forever  【2018.4.30改稿】(当初配信:2002.11.12)

「アイラブユー いつまでも アイラブユー どんなときも
 わたしが生きているかぎり あなたはわたしのかわいいあかちゃん」
  ・・・「ラブユーフォーエバー」

 国際交流の仕事をしているのに、どうにも言葉が不自由で困っています。

 しかし、毎年、福島県を訪れる海外技術研修員の皆さんや中南米からの県費留学生の皆さんの日本語を学ぶ努力と言うのは凄いものだと感心します。

 日本語は、その文法からして他に例を見ない複雑さ。また、同じことを表現するのに、ニュアンスによって様々な使い分けがあります。

 しかも、その複雑な日本語を学ぶこと自体が目的ではなく、その日本語を使って技術の習得をしたり、学問を修めていく・・・実に、尊敬に値する皆さんです。

ポインセチアと少女

ポインセチアと少女

(いわさきちひろ)

 ところで・・・

 考えてみれば“言葉”というのはあくまでも手段。肝心なのは心と心でコミュニケーションをすることです。

 ならば、コミュニケーションにとって本当に大切なのは、どんなことなのでしょう?

 ということで、今回の通信は“ハートフル・コミュニケーション”について考えます。

 

1 ハートのコミュニケーション

 東京財団の会長日下公人さんは、あるフォーラムで次のような話をされました。

 私は、自分の家から駅まで歩いていく間に出会う猫を九割手なづけます。

 その時に大事なのはしゃべり方なんですね。

 まず自分の前頭葉と知性を結ぶ線を切っちゃうんです。そうした状態で話しかけると猫もわかるらしいのです。

 もちろんそれでもだめな猫はいますけど、コミュニケーションができるようになります。

 声のイントネーションにいろいろなことが含まれていて、それを猫は理解するようです。

〔日下公人:東京財団会長〕

 彼が言いたいのは“非言語のコミュニケーション”

 もちろん言葉も使いますが、大切なのはその記号的意味内容ではなくて、しゃべり方やイントネーション・・・むしろ“ハートのコミュニケーション”と言った方がいいのかもしれません。

言葉の分かるネコ

 国際理解講座などで、参加者の緊張感をほぐすために行われるアイス・ブレーキングでも同じような手法が用いられます。

 福島県青年海外協力協会の布田会長さんのお得意は「アイウエオ」

 話すことができるのは「アイウエオ」だけで、それに表情やイントネーションや身振り手振りを加えて、思い思いのメッセージを伝達するゲームです。

 ある人は「こんにちわ」の挨拶を、またある人は喜びや悲しみを五つの言葉だけで表現し、その人が何と言いたかったのかを他の参加者が当てるのです。

 日本人と外国人の相互理解に“言葉が壁になる”とは、よく言われることですが、それが絶対のものでないことがよく分かります。

 たとえ「コノヤロー」の五文字でさえ、愛情を込めて表現さえすれば、きっと「ありがとう」の気持ちが伝わるはずです。

 そう考えれば、言葉を知らない国へ出かけていくのも、そう敷居が高いと構える必要はないのかもしれません。

 だって、猫にさえ気持ちを伝えることができるのですから・・・。

 

2 ボディ・ランゲージ

 もう一つ、非言語のコミュニケーションに“ボディ・ランゲージ”があります。

 これは、身振り手振りによる意思伝達ばかりを言うのではなくて、相手の無意識のしぐさやポジショニングなどからも相手のメッセージを受け取ることができるという心理学の考え方です。

 たとえば、自分が話しかけた時に相手が無意識に腕組みをしたとすると、多くの場合それは、相手の人の警戒心や拒否反応という深層心理の現われであったりします。

貝殻と赤い帽子の少女

貝殻と赤い帽子の少女

(いわさきちひろ)

 また、三人の人が椅子に腰掛けて談笑している時に、誰かが足を組みかえると他の二人もつられて組み替えてしまうことがあります。

 これは、普段の力関係がどうあれ、つられて組み替えた二人は、実は深層心理の中で最初に組み替えた人をリーダーだと考えていることが多いのだそうです。

 さらに、動作を全く伴わない位置取り(ポジショニング)だけでも、この“無意識のメッセージ”は伝わります。

 人は、半径50センチメートル以内に接近されると不安感を感じ始めるそうです。

 これは、普通の人にとって50センチメートルというのが空間のテリトリー(縄張り)なので、ここに“侵入された”という意識が不安感や嫌悪感を生じさせるのだそうです。

 面白いことに、この距離は一定ではなく、自動車を運転する時などは自動車から何メートルというように拡大します。もちろん、車のスピードによってもそれは変化します。

 きっと、このテリトリーというのは“制空権”のようなものなのでしょう。

 

3 沈黙のコミュニケーション

 ところで、日本のサムライ文化では、あまり多くを語り過ぎないことが美徳とされてきました。

 それはやがて、日本人全体の価値観にもなり、「阿吽の呼吸」を大切にするとか、「目は口ほどにものを言い」とか、言葉を用いないで意思を伝達できることがよいことだと考えられたのです。

 こうした寡黙を重んじる価値観は、日本の伝統文化の中にも取り入れられてきました。

 例えば「禅」、茶の湯の「侘び、さび」・・・。

 茶道では、もてなしの心を伝える言葉は最小限にして、待合から茶席まで歩む庭のしつらえ、ほのかに燻らせた香、さりげなく飾った茶花、(夜会の場合)月の明かりを招き入れる窓の位置までも演出し、客人に最上の「時間」を献上します。

 他にも、言葉を極限までそぎ落とし、たった「三十一文字(みそひともじ)」で花鳥風月の風情や心の感動を表現する「短歌」の世界なども日本独特の文化でしょう。

茶の湯

茶の湯

 “日本人は論理的でない”とか、“何を考えているか分からない民族だ”とか言われますが、それは、言葉の論理的意味だけを重要視するアメリカ型契約文化から見た一方的意見。

 日本人は、表情や目線や立ち振る舞いまで用いてコミュニケーションを行う繊細な民族なのです。

 こうした沈黙のコミュニケーションを大切にする心が、日本的なよき精神文化を形作ってきたのではないでしょうか?

 だって日本の子供たちは、“親父の背中を見て”成長するのですからね。

フラワー・アレンジ

フラワーアレンジ

 さて、相手がまだ小さな子供である場合だけは、この“沈黙のコミュニケーション”ではいけません。

 言葉や気持やボディランゲージを駆使したコミュニケーションを用いて“愛情”を伝え、子供の情操を育ててあげることが何よりも大切です。

 最近は、共稼ぎで両親も忙しい。核家族だから、おばあちゃんもいない。つい面倒だから、子供の相手は付けっぱなしのテレビになる・・・これはだめです。

 子供の情操を育てるのに大きな効果があると言われるのは“童話の読み聞かせ”です。昨今は、新作の童話がたさくさん作られています。

 そして、そんな“読み聞かせ童話”の名作に、ロバート・マンチ作「ラブユーフォーエバー」があります。

 最後に、その悲しい・・・そして美しいお話のあらすじをご紹介したいと思います。

 

4 ラブユーフォーエバー

おかあさんは、うまれたばかりのあかちゃんをだっこしてします。
ゆっくり、やさしく、あやしています。

ゆらーり、ゆらーり、ゆらーり、ゆらーり。
そして、あかちゃんをだっこしながら、おかあさんはうたいだします。

   アイラブユー いつまでも アイラブユー どんなときも
   わたしが生きているかぎり あなたはわたしのかわいいあかちゃん 。

 そんな書き出しで、この物語は始まります。

 生まれたばかりの天使のような赤ちゃん・・・どこにでもある普通の風景。

 けれども少し成長すると、まるでちびっこギャングのような大騒ぎ・・・それもまた、どこにでもある風景でしょう。

二才になったぼうやは家中を走りまわり、
本棚の本をひっぱりだし、冷蔵庫の中のものをみんなだしてしまいます。
ときどきお母さんはさけびます。

   「この子のせいで気がくるいそうだわ!」

でもぼうやがねむりにつくと、そうっとへやに入り、
二才のぼうやを抱いて歌いだします。

   アイラブユー いつまでも アイラブユー どんなときも
   わたしが生きているかぎり あなたはわたしのかわいいあかちゃん 。

ぼうやが九才になると、わがままで夕ごはんを食べません。
おふろにもはいらないし、おばあちゃんがくると悪い言葉をつかいます。
ときどきお母さんは思います。

   「こんな子、動物園にでも売っちゃいたいわ!」

でもぼうやがねむりにつくと、そうっとへやに入り、
九才のぼうやを抱いて歌いだします。

   アイラブユー いつまでも アイラブユー どんなときも
   わたしが生きているかぎり あなたはわたしのかわいいあかちゃん 。

 もう、本当に手がつけられません。

 手のかかる小さな時は苦労しながらも「自分が守ってあげなければ」という気持ちで頑張れるのですが、もの心がついてくると神経をいらだたせる事ばかり。

 けれども子供の寝顔を見れば、また優しいお母さんに戻れるのです。

男の子はティーンエイジャーになると、ヘンなともだちをつくり、
ヘンな服を着て、ヘンな音楽をきいています。
ときどきお母さんは思います。

   「まるで動物園にいるみたいだわ!」

でも少年がねむりにつくと、大きな少年の肩を抱いて歌いだします。

   アイラブユー いつまでも アイラブユー どんなときも
   わたしが生きているかぎり あなたはわたしのかわいいあかちゃん 。

 うん、耳が痛い。それが親離れ・子離れというものでしょうか。

 「少年」とありますから、小学校高学年から中学校くらいの時分でしょうね。

 けれども、そういう気持ちでいられるのも、せいぜいこのくらいまで。
(中学生は無いかな・・)

 両親よりも友達との時間の方が大切になり、もう家には寄り付きません。

 帰ってきてもすぐ自分の部屋にこもり、顔を出すのはご飯とお風呂の時だけ。

 ウチではそうでしたが、まあ世の中の子供たちというのは大抵そんなものかなと。

 なので、物語のこの辺までは、特に心に留まることはなかったのですが・・・。

茶の湯道具

立膝の少年

(いわさきちひろ)

 物語の少年はいつしか大人になり、結婚して家を出て行きます。

 すっかりわがままに育った息子は、もうお母さんのことなんか忘れてしまって、家に顔も出しません・・・

 やがてお母さんは、たまらなくなって、そっと隣町の息子の家まで出かけて行きます。

 でも・・・家に入っていくことができません。

 このシーンで、胸がぐっと詰まりました。

 きっと迷惑がられるだけだと考えたのでしょうね。

 そうか、母親と言うものはそういうものなんだ・・・

 僕は急に真剣になって本と向き合いました。

街灯

街灯

 物語のお母さんは、辺りが暗くなるまで家の外にたたずんでいます。

 やがて息子の部屋の明かりが消えると、その明かりの消えた窓を見上げながら、小さな声で歌い出しました。

 そう・・・あの歌を。

アイラブユー いつまでも アイラブユー どんなときも
わたしが生きているかぎり あなたはわたしのかわいいあかちゃん 。

 そうして長い時が流れていきます・・・

 お母さんは年をとります・・・

 どんどん、どんどん年をとって、ついに動けなくなってしまいます。

 これは「あんまり」だなぁ・・・

 そんなに長い間、一人きりの母親を放っておくなんて、何て酷い息子。

 いくら“物語”であったにしても。

 いったいどういう結末にするつもりなんだろう?

 少し“やりきれなさ”を感じながらも、先へ進みました・・・

 動けなくなったお母さんは、最後の力をふりしぼって息子に電話をかけます。

「会いに来てちょうだい・・・」

夜は更けて

夜は更けて

 電話をもらった息子は心配になります。

 隣町のお母さんの家に駆けつけて、ドアの表までたどり着きました。

 ドアの中から、苦しげな声が漏れています。

 お母さんは、歌を歌おうとしていたのです。

「ラブユーフォーエバー、どんなときも・・・」

 けれど、それが精一杯でした。

 お母さんは、もうその先を続けることはできませんでした。

 何てことだ・・・ 間に合わなかったのか・・・

 子供向けの「読み聞かせ童話」なのに、これではあんまりだ・・・

 ・・・と、次の数行で、物語は唐突に終わりを告げます。

むすこは おかあさんのへやに はいりました。
そして おかあさんを だっこしました。

ゆらーり、ゆらーり、ゆらーり、ゆらーり。
そして、むすこは うたいだしました。

   アイラブユー いつまでも アイラブユー どんなときも
   ぼくが生きているかぎり あなたはずっと ぼくのお母さん

 このラストで、童話を聞いていた子供たちは涙ぐむそうです。

 けれども、物語のお母さんは死んでしまったのか、息子が間に合ったのか書かれてはいません。

 「死んでしまった」と感じた子供は、大切にしてもらったお母さんに、取り返しのつかない事をしてしまったと感じ、悲しくて泣くでしょう。

 また、息子がお母さんを救い出したと思う子供は、その後のハッピー・エンドを予想して、嬉しくて泣くでしょう。

 その分かれ目は・・・?

 読み聞かせるお母さんが(あるいはお父さんが)、物語をどのように解釈し、最後の数行をどんなふうに読むか、で変わってきます。

 全く同じ言葉なのに、正反対の印象を与えることができる・・・

 “ハートフル・コミュニケーション”といものの大切さを教えてくれる、とても深い物語ではないでしょうか。

 

/// end of the “その27「ラブユーフォーエバー」” ///

 

《追伸》 2014.5.6

 「ラブユーフォーエバー」・・・実に悲しく、美しい物語です。

 正直に言えば、僕は昔、母親が「死んでしまった」と感じ、やるせなくて泣きました。

 ところが、今回のリニューアルに伴って全面改訂する中、もう一つの可能性に気づいて文章を書きなおしました。

 “親孝行 したい時分に 親は無し”と言いますが、この最後の数行は、自分が生きてきた過去を映す鏡なのだと思います。

 自分の忙しさにかまけ、いかに親をないがしろにしてきたかを突き付けられた思いです。

 小さなお子さんをお持ちの皆さん、是非この本をお買い求めになり、お子さんに読み聞かせてあげてください。

 なお、通信その1から26までは「Web化予定なし」であったり、別シリーズ(another world.)に移植済みであったりして、この「ラブユーフォーエバー」が実質的にファースト・ナンバーとなります。

 よって、ここをスタートとして「Nextリンク」を張っていきます。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

ラヴ・ユー・フォー・エバー

ラヴ・ユー・フォー・エバー

ロバート・マンチ:作
乃木リカ:訳 
梅田 俊作:画

(岩崎書店)

管理人「葉羽」宛のメールは habane8@ybb.ne.jp まで! 
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To be continued⇒“28”coming soon!

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