岸波通信その256「喜多方生活の思い出④」

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岸波通信その256
「喜多方生活の思い出④」

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◆「人生を振り返って」シリーズ#55喜多方生活の思い出④

 喜多方保健所で一週間ほど勤務した後、「新採用職員研修」が本庁の職員研修所で行われて参加した。

 喜多方の田舎と比べると県庁所在地福島市はさすがに都会で、西庁舎の屋上階にあった消費組合のレストラン(現在は廃止)から眺める街並みは素晴らしく感じた。

右が福島県庁西庁舎

←当時、屋上階にはレストランがあった。

 数日間、研修所で座学した後、研修会場は会津磐梯山麓にある「磐梯少年自然の家」(※現在の「国立磐梯青少年交流の家」)に移った。

 今はどうか知らないが、当時、この自然の家の一階ロビーにはドガの「踊り子」のレプリカが掲げてあり、その迫力に圧倒されたことを覚えている。

  ドガ「踊り子」・・多分、コレだったような?

 また、誰かが「この近くに秋吉久美子の親父さんが務めている試験場がある」と言うので驚いた。

 秋吉久美子は僕と同い年で福島県いわき市出身。磐城女子高でウチのケイ子さんの一級下だった。(※ケイ子はその後、福島女子高に転校。)

  日産チェリーFⅡのCM:秋吉久美子

 また、この時点の2年ほど前(1974年)、藤田敏八監督の青春映画『赤ちょうちん』に出演してブレイクし、その後日活映画の『妹』や『バージンブルース』に主演して、桃井かおりと並び当時の「シラケ世代」の代表的アイコンとして活躍していた。

 その父親は、猪苗代町にある「福島県内水面水産試験場」に勤めており、すなわち僕らと同じ「県職員」だったのだ。(驚!)

福島県内水面水産試験場

(背景は会津磐梯山)

 二週間ほどあった新採用職員研修を終えた最後の日、誰かが言いだして「懇親会」が福島市内で開催された。

 その時に僕が「将来、福島県庁を支えていく僕らで「会」を結成し、定期的に集まろうじゃないか」と提案したらしい。

  居酒屋で同期会結成(イメージ)

 「らしい」と言うのは、後年、同期から「あの時、会の結成を言い出したのはキシナミだぞ」と聞いたからだ。つまり、かなり酒が回っていて「思い付き」で言ってしまったらしい()

 同期会の名前は、これも僕の提案で「21世紀の福島県を背負っていく」という意味で『21世紀の会』と決まり、忘年会のような形で継続された。

20年くらい続いたろうか。その後「昇進」に差ができ始め自然消滅した:泣)

  21世紀の会(将来イメージ)

 研修を終えて、再び僕は喜多方の「祓川荘」に戻り、本格的な保健所勤務が始まった。

 その時、総務課の僕の席の下にいた地元出身のOさんという運転手さんが、僕の面倒をよく見てくれ、昼食時に「一緒に『肉そば』でも食べに行がねかい?」と誘ってくれた。

肉そば?

(頭に浮かんだイメージ)

 『肉そば』という聞きなれない名前に、焼肉でも載った日本蕎麦かと思ったがさにあらず。

 Oさんが案内してくれたのは、喜多方市役所の西側にあった『坂内食堂』というラーメン屋だった。

  坂内食堂(本店)/喜多方市御清水

 そう・・喜多方では「ラーメン」のことも「そば」と呼ぶので、「肉そば」と言えば「チャーシューメン」のことだったのだ。

 また、今でこそ「喜多方ラーメン」も「坂内食堂」も全国区だが、当時はまだ「喜多方ラーメンマップ」も制作中で、これからブレイクする直前の時期だった。

 ラーメン屋が多い喜多方の中でも、市役所を挟んで両側にあった「西の坂内」と「東のまこと」は「両雄」と呼ばれ、大変賑わっていた。

  まこと食堂/近年廃業した

 その『坂内食堂』に入って驚いたのは、そこの店主の親父さんが、厨房の中でラーメンを作りながら「一升瓶」を口に運んで酒を呑んでいたことだった。

 これには度肝を抜かれた。喜多方生活では、いろいろな「驚き」を経験したが、最初の洗礼はコレだったかもしれない。

 そして、目の前に運ばれた「肉そば」には、「二度見」するほどの衝撃を受けた。

肉そば

(坂内食堂)

 ドンブリの表面が、数えきれないチャーシューで覆われており、麺などどこにも見えなかったのだ。(しかも安かった。500円しなかったのではなかろうか?)

 で、口に運んでみる・・ 

「うんめぇ!!」・・思わず声に出た。

 福島市や仙台市では見たこともない「平打ちの太麺」が縮れをまとい、極旨のスープをしっかりグリップしているのだ。

 ラーメンって、これほど奥深いものだったとは・・完全に目から鱗が落ちた。

 この喜多方ラーメン・ファーストコンタクトで感動した僕は、勤務先の保健所にある提案をすることを思いついた。

(To be Continued⇒)

 

/// end of the “その256「喜多方生活の思い出④」” ///

 

《追伸》

 この流れだと省略しそうなので、ココに書いておきますが、「祓川荘でトンデモナイものを貰う」の正体は「水虫」です。

 古い下宿屋だったし、脂ギッチョの高校生が大勢いたので、おそらく一階の食堂やトイレのスリッパでうつされてしまったのでしょう。

 水虫などには縁のない清潔な生活をしていた僕(笑)は大ショック。あれって、いったん病気がうつると、夏になるたびに再発するのです。

 40歳頃に皮膚科で徹底駆除してもらうまでは、毎年悩まされました。(いやぁ難儀した!)

 さて、本編は次号、「喜多方での愉快な仲間たち」の話になります。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

喜多方ラーメンの元祖:源来軒

(現在は廃業)

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To be continued⇒“257”coming soon!

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【岸波通信その256「喜多方生活の思い出④」】
2026.4.22配信

 

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