岸波通信その255「喜多方生活の思い出③」

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Present by 葉羽
「SUMMER IN THE ISLAND」 by Music Material
 

岸波通信その255
「喜多方生活の思い出③」

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◆「人生を振り返って」シリーズ#54喜多方生活の思い出③

 さて、就職即結婚という訳にも行かないので、とりあえずの入居先を勤務所至近の学生下宿に決めて一安心。

 引っ越し資金も手段(車)も無いので、仙台のアパートにあった家財や溜め込んだカクテル類は極力廃棄することにし、衣類とギターとTV、そして筒井康隆のSFを段ボール箱に梱包した。

愛用のクラシックギター

(イメージ:こんなの)

 これをどうやって喜多方まで移送するか考えあぐねていると、上の弟ヒロヒコから提案があった。(僕は男子三人兄弟。「通信」に登場するタケヒコオーナーは下の弟。)

「あんちゃん、引っ越しどうすんの?オレの車で運ぶかい?」

 ををを~地獄に仏。持つべきものは良き友と兄思いの弟だ。

  引っ越しの荷造り(イメージ)

 弟は、僕が親父から勘当されて、引っ越しに難儀している状況を察してくれたのだ。

 僕は仙台の大学だったが、ヒロヒコは地元の福大に進学しており、バイトで貯めた金で自分の車を購入していた。(しっかりした弟だ!)

  当時のヒロヒコの愛車(イメージ)

 こうして、弟の協力により、無事、3月末には喜多方の学生下宿「秡川荘」に入居することができた。

 4月21日の初給料日までは無一文に近い状態になるはずだったが、当面の生活資金は結婚予定の彼女から借りることにした。

 こうして迎えた喜多方保健所に初登庁の日、早速、歓迎会が挙行された。

当時の喜多方保健所

(現在は県の合同分庁舎)

 当時の喜多方保健所は、新築移転したばかりの真新しい庁舎で、所長は若松・喜多方・坂下の三保健所長を兼務する医師。通常在勤しているのは基幹保健所である会津若松保健所だ。

 事務所は事務職である次長以下、総務課・衛生課・保健指導課・保健婦室の4課室で30人弱の体制だったが、若い職員が多いことに驚いた。平均年齢は何と20代後半だという。

  平均年齢が若い職場(イメージ)

 そのうち、独身者は僕を含めて男子3名女子5名で、女性だけの保健婦室があることから女性比率が高い職場だった。 

 早速、独身者会への入会を促されてOKしたが、その会の名称は伝統的に「カラタチ会」だと言う。

  カラタチ(枳殻)会?

 当然に「枳殻(カラタチ)の花」を思い浮かべて「洒落たネーミング」だと感じたが、後に、若い男性が無為に立ててしまう「空勃ち」と言うエッチな由来であったことを聞いて大笑いした。

 あ~れ~! (*ノωノ)イヤーン

新人歓迎会

(イメージ)

 さて、その夜の歓迎会だが、ほとんど記憶していない。と言うのも、僕は酒の飲み方を知らず、注がれたコップ酒を(そうするものだと思い込んで)水のように一気飲みして泥酔したのだ。(今、考えると危なかった・・)

「イケるクチだねぇ」などと感心されたが、学生時代、ビールと少々のカクテル以外口にしなかった僕は、日本酒の飲み方など分からなかったのだ。

  次から次へ・・

 だが、一つだけ鮮明に記憶していることがある。僕の総務課の新人指導担当のT部さんが、みんなに囃されて歌を唄いだしたのだ。

 カラオケなどまだ普及していなかった当時の事、歌と言えばアカペラだ。その曲目は『焼酎の歌』・・こんな歌だった。

「民族の酒 焼酎は 安くて まわりが速い
 焼き鳥固く 冷えぬ間に 早くも頬を染める
 高く上げ 杯を その下で くだをまく
 特級酒 去らば去れ 我らは 焼酎呑むぞ」 (『焼酎の歌』)

 これはドイツ民謡にJ.コンネルが歌詞を付けた労働歌『赤旗』の日本語訳詞版が原曲で、それを「替え歌」にした有名な曲だった。(歌詞には様々なバージョンがある。)

 『焼酎の歌』

 どこかで聞いたメロディであったので、繰り返しで二番を歌う頃には僕もハモリを付けながら歌った()

 僕が学生時代にバンドをやっていたことは言ってなかったが、簡単な曲なら一度聞いただけで完コピ・ハモリするのは得意だったのだ。

学生バンド

(イメージ)

 場はすぐに和気あいあいとなり、「ああ、この職場なら楽しくやって行けそうだ」という気持ちになった。

 その後、二次会に流れた気もするがよく覚えていない。足元おぼつか無くなった僕は、職員組合の分会長もやっていたヒラタ先輩らに抱えられて祓川荘へ。

  酔い潰れ・・(イメージ)

 こんな歓迎会が一週間のうちに何度かあり、すっかり喜多方の空気に馴染んだ頃、二週間ほどの「新採用職員研修」で本庁に行くことになった。

(To be Continued⇒)

 

/// end of the “その255「喜多方生活の思い出③」” ///

 

《追伸》

 当時、採用された上級の一般行政職(大学卒程度)は30数名。当初応募倍率60超倍を通過してきた猛者たちだ。

 その半数程度が本庁採用で2年間勤務した後に出先機関異動、残り半数が出先機関採用で4年で本庁異動となる。

 ただし、本庁採用は知事部局とは限らず、県警本部や教育委員会のケースが多い。(現在は「警察事務」や「学校事務」などの専門職となって人事交流はない。)

 僕は喜多方保健所に4年間勤務して本庁財政課に異動となったが、当時の人気希望職場は「財政・人事・地方」の総務部三課。

 出先から直接、財政課配属になったのは僕が初めてで、以後、そうしたルートができる先鞭になったとのこと。

 保健所と言う「牧歌的な職場」からいきなり「24時間戦えますか」という財政課勤務になったことでキツイ場面もあったが、今となっては良い経験ができたと思う。

 さて、本編は次号、「喜多方ラーメン」との運命の出会い編となります。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

かどや食堂の中華そば

(二日に一度食べてた)

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To be continued⇒“256”coming soon!

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【岸波通信その255「喜多方生活の思い出③」】
2026.4.8配信

 

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