岸波通信その108「イースター・ミステリー」

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Present by 葉羽
Fairy Tale」 by Moon Light Garden
 

岸波通信その108
「イースター・ミステリー」

1 謎の巨石文明

2 モアイ像の真実

3 天駆ける夢

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  The Easter Mystery  【2016.12.4改稿】(当初配信:2004.5.29)

「それは、集団で狂気へ落ちていったイースター島民の“最後の良心”であったかもしれない。」
 
・・・本文より

 こんにちは。長い年月を経た巨木には神が宿ると信じている葉羽です。

 この地球上からは、毎年900万ヘクタールの森林が失われ、20世紀末の10年間だけで、日本の国土の2.5倍に相当する9,400万ヘクタールの森林が消滅したと言います。

 これまで、森林の消滅といえば、アマゾンや開発途上国における森林伐採や砂漠化が取り上げられるのが普通でした。

 しかし…

 1620年、メイ・フラワー号で英国を脱出したピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)が北米大陸に上陸してから僅か300年…たったそれだけの間に、米国のなんと90%に及ぶ森林が人間の手によって消滅させられていたというショッキングな事実が報告されたのです。

イースター島

(チリのイースター島は南米大陸から 3,700キロメートル。南太平洋に 浮ぶ“絶海の孤島”。)

 そう主張するのは、国際日本文化センター所長である人類学者の安田喜憲博士。

 先週の5月28日(金)、福島市のテルサで開催された「ふくしま森林(もり)未来トーク」での話です。

 生命の根源である水を涵養し、妖精たちの棲家でもあった“母なる森林”はいったいどうなってしまうのか?

 安田博士は、“世界の七不思議”にも数えられるイースター島の研究家としても知られます。

 彼は、この巨石文明を育んだ民族もまた、森を失って自滅したのだと言う…。

 20世紀初頭、英国の文化人類学者キャスリン・ルートレッジが「イースター・ミステリー」を著してから約1世紀。

 謎の文明の起源が、ようやく日本人研究家の手によって明らかにされました。

 ということで、今回の通信は森の文明に関する話題、「イースター・ミステリー」。

 その謎を解く鍵は、まさに意外なところに…。

 

1 謎の巨石文明

 南太平洋に浮かぶ絶海の孤島、イースター島はモアイ像で有名ですが、島の殆どが荒れ果てたこの火山島に、どうして巨石建造物を構築できるほどの文明が存在できたのか大きな謎とされてきました。

 そのため、“世界七不思議”の一つと言われるイースター島ですが、現在はチリ領となっており、正式名称はスペイン語で“イスラ・デ・パスクア”と言います。

 島の大きさは瀬戸内海の小豆島ほどで、南西部に位置する唯一の村“ハンガロア”に3,000人ほどの住民が生活しています。

イースター島の地図

←集落は左下のハンガロアのみ。
今は観光地となっており、
飛行場やホテルまである。

 1772年の復活祭(イースター)の日、この島を発見したオランダの航海者ヤコブ・ロッケフェーンは、島の海岸沿いに海を背にして建てられた1,000体にも及ぶ異形の巨石建造物や精巧な石組みの祭壇に刻まれた象形文字の高い文明に驚きました。

 だが、さらに彼らを驚かせたのは、その島に存在していたのが、どう考えてもその文明の担い手とは思えない野蛮な原住民たちであったことです。

 原住民たちは、誰もが皆、みすぼらしい姿をし、互いに殺しあうだけの毎日を過ごしていたのです。

 島のモアイ像は、野蛮な原住民たちの手によって前倒しに倒壊させられており、この島の文明を作ったのは彼らではなく、おそらく高度な文明を持った別の先住民族であろうと考えられるようになりました。

 ならば、この文明をもたらしたのはどのような民族だったのか?

 また、一様に島の中央部を睨んで立つモアイ像は、そもそも何のために造られたのか?

 だが最大の謎は、森もなく荒れ放題の土地で、どうやって先住民たちは文明を育むことができたのかということでした。

イースター島の石積み祭壇

(紙一枚の隙間も無いほど精巧に組まれた石の祭壇。)

 謎を解く鍵は次々に失われて行きました。

 18世紀の「モアイ倒し戦争」と呼ばれる内乱で石像は破壊され、19世紀にやってきたペルーの船団は、3,000人と目される原住民の多くを奴隷として徴発したため、島の歴史を伝承する古老や神官たちはほとんど姿を消してしまったのです。

 そうした中で、1864年に南アメリカ大陸から渡来したキリスト教伝道師は、ロンゴロンゴ文字という象形文字が彫られた木片を発見します。

 しかし、それさえもキリスト教に改宗した原住民たちの手によって葬られてしまう…。

 極めつけは、タヒチから渡ってきたフランス人たちで、彼らはこの島を領土とするために原住民たちを虐殺し、島民は僅か10人が生き残るのみとなりました。

ロンゴロンゴ文字

←史料の絶対量が失われ、
解読する術も無い。

 このイースター島の謎の文明について、最初に本格的な学術調査を行ったのは英国の人類学者キャスリン・ルートレッジでした。

 第一次世界大戦前夜の20世紀初頭、島に一年半ほど滞在した彼女は、調査結果に基づいて「イースター・ミステリー」を出版し、大きなセンセーションを巻き起こしたのです。

 その結果、この謎の文明は、多くの人類学者たちの興味を掻き立てるところとなり、トール・ヘイエダールが唱えた“巨石文明南アメリカ渡来説”を巡って、侃侃諤諤の議論が闘わされることになるのです。

 そして21世紀…

 ついに、イースター島の謎の文明について解き明かされる時が来ました。

 

2 モアイ像の真実

 安田博士が、この島の地質を詳細に分析すると、果たしてそこには南米などに棲息する椰子の種子が大量に発見されたのです。

 すなわち…

 いまでこそ見る影も無く荒れ果てたこの島ですが、かつては緑の森に覆われた南海の楽園だったことが明らかにされたのです。

 緑の森は、豊かなせせらぎや果実の恵みをもたらし、家や船の材料を提供していました。

 そして人々は、畑を拓き、鶏や豚などの家畜を養い、船で大海に漕ぎ出し、巨石信仰や文字さえも獲得する豊かな文明を育んだのです。

イースター島のモアイ像

 それにしてもこのモアイ像…

 いったいどんな目的で作られたのでしょう?

 そして何故、ある時を境にしてモアイ像がパッタリと造られなくなったのか?

 モアイ像をよく観察すると、一体一体が微妙に異なった表情をしているのが判ります。それはまるで、豊かな個性を主張しているよう…。

 また、よく誤解されることですが、モアイ像は海を向いて建っているわけではなく、全て海岸から島の中心を見つめるように建造されているのです。

 その理由は…

個性豊かなモアイ像

←様々な形の帽子を被っている。

 このモアイ像は、島の長老たちの姿をかたどった墓碑だったのです。

 像の下には長老たちが埋葬されており、墓碑は子孫たちの暮らしを見守るように島の中心を向けて“守り神”の役目を果たしていました。

 しかし、やがて悲劇が島を襲います。

 豊かな島の人口は急速に増加し、生活を守るためには森を拓き、木々を伐採し続けなければならなくなったのです。

 緑の樹木は次第に姿を消し、最初に小鳥たちのさえずりが聞こえなくなり…

 やがて森の動物が姿を消し、狩猟も木の実の収穫もできなくなり…

 …そして、森は永遠に失われました。

引き倒されたモアイ像

 食料となった家畜も食べ尽くし、森から供給されていた養分が枯渇し始めると、畑の収穫も減っていきます。

 人々は、最後の糧を海に求めたが、近海の海草や魚介が数を減らしたため、遠くまで船を漕ぎ出さなければなりませんでした。

 ところが…

 船を作るための木は、既に存在してはいなかったのです…。

 

3 天駆ける夢

 絶望の彼らに残された道は?

 イースター島は絶海の孤島。船が無くては島を脱出することも叶わない。

 食糧を失い、追い詰められた島民は、遂に共食いを始めます…これこそが「モアイ倒し戦争」の真実でした。

 部族同士で殺し合いを始め、弱い者から次々と犠牲になっていく…文字通り、弱肉強食の地獄絵が展開されたのです。

モアイ倒し戦争

 食べられた人骨の捨て場となった洞窟も発見されています。

 ハンガロア集落の南の海岸沿いにある“食人の洞窟”と呼ばれている場所がそれです。

 今では、観光施設の一つになっていますが、さすがに人骨が積み上げられた内部までは入れないよう、入り口には、うず高く石が積まれています。

 ここで一つの疑問が湧きます。モアイ像は、どうして倒されなければならなかったのか?

 おそらく、自分たちを見つめる“守り神としての目線”に恐怖したのでしょう。

 だからこそ、モアイ像は“仰向け”ではなく、顔を伏せて“前倒し”にされる必要があったのです。

 それは、集団で狂気へ落ちていったイースター島民の“最後の良心”であったかもしれません。

オロンゴ岬

←鳥人儀式の行われた場所。

 やがて人口の淘汰が一段落し、同時にモアイ信仰を捨て去った彼らは、新たな信仰を生み出します…鳥人(マケマケ)信仰です。

 各部族の長が1名の部下を選び、オロンゴ岬から沖合いの島までグンカンドリの卵を取りに行く競走をさせたのです。

 そして、勝利した部族の長は万能の鳥人となることができ、以降一年間、島の権力を握ることができた。また、鳥人となった証に、洞窟で食人をしたと言います。

食人の洞窟

←海岸沿いにひっそりとある。

 何故に“鳥人”なのか?

 船を失ったことで、この不毛の孤島を脱出する術を失った彼らは、いつの日にか鳥人となって自由に天(あま)駆けることを夢見たのでしょうか。

 安田博士は言います…

 瀬戸内海の小豆島ほどのこの島で、人口は1万人以上にも爆発し、食べ物から樹木まですべての資源を消費し尽くしてしまった。

 最後は部族間の紛争に発展し互いに食い合うまでになって衰退していった。

 この太平洋に浮ぶ孤島、イースター島の歴史から学ぶべきは、彼ら自身の愚かさではない。

 それは、宇宙に孤独に浮んだこの惑星そのものの姿であり、環境の歴史が警告する“地球の未来”ではないのか。

 失って初めて分かる森の偉大なチカラ…。

 きっと、本当に大切なものは、水のように、太陽の日差しのように、そして森のように、さりげなく我々の傍らにあるものなのでしょう。

 

/// end of the “その108 「イースター・ミステリー」” ///

 

《追伸》

 この4月から県林業公社に勤務することになり、今までさりげなく眼にしていた街路樹や山々の緑、そして、森林の将来に想いを馳せることが多くなりました。

 この日本の山河は、ラフカディオ・ハーンが妖精の棲む国”と言った美しい風景です。

 しかし、森林の多面的機能が叫ばれながらも、未だにその維持については林業という「産業政策」の位置づけから脱却できずにおり、一方で、恵みを享受している都市住民は、山を守り育てている人々の営みに想いをいたすことは稀なのではないでしょうか。

 今や、世界の中で、この日本ほど森の豊かな国は存在しません。

 しかもそれは自然林ではなく、“森の民”であり“農耕の民”であった日本民族が、縄文の昔から手を入れ続け、祖先から営々と受け継がれてきた森林や田園風景なのです。

 まさに、自然と共生する民族が作り上げた“神々の宿る森”。

 自他共に認める林業公社の“守護神”Yさんは言います。

「日本の森は、民族が長い歴史をかけて造り上げてきたもの。その価値は、決してエジプトのピラミッドや中国の万里の長城にさえも劣らない、我が国の誇るべき文化遺産だと思います。」

 うん、いいこと言うなぁ!

 この人のこういう所が大好きなんだな…。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

トンガリキのモアイ像

(森の無い草原。モアイ像は日本の国際協力活動などで修復されました。)

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To be continued⇒“109”coming soon!

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