こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
人生は終わりなき舞台。
2012年のレオス・カラックス監督によるフランス映画『ホーリー・モーターズ』をamazonプライムで鑑賞しました。
カラックス監督と言えば、フランスで同年代のジャン=ジャック・ベネックス、リュック・ベッソンと合せて「BBC」(恐るべき子供達:コクトーの同名小説より命名)と呼ばれ、フランス映画ヌーヴェル・ヴァーグ以後の「新しい波」の一角。
はい、通常であれば、僕が選ぶようなジャンルの映画では無かったのです。
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ホーリー・モーターズ
(C)Pierre Grise Productions |
amazonプライムではタイトルに感想投稿者の総合評価が付されており、これが中々に信頼度が高い。
そうした中で(僕が好きなジャンルの)1963年のチェコスロヴァキアSF映画『イカリエ-XB1』を見終わった『関連映画』(いわゆる「この作品を観た人が次に観た回数の多い映画」)に、この『ホーリー・モーターズ』が表示されていたのをポチったのです。
ほら、レオス・カラックス監督のことなど全く興味外で知りませんから「多分SF映画」と思い込んで観たワケです。
しかあしっ!!
途中から「コレはとんでもない映画」だという事に気づきはしたものの、その異様な空気感に絡めとられて最後まで観たしまった結果、「全く分からない!」という結末に(笑)
いったいどんな映画であったのか、さっそく本編でございます。
まず、映画導入のクレジット場面が実に異様。制作や監督の名がクレジットされるその間に極めて短い白黒映画のカットバックが挿入される。
最初は子供が全裸で走り回っている。そして次には大人の男性が同じく全裸で登場し、何物かを繰り返し床に叩きつけるシーン・・彼の股間の一物まで映っている。
そして映画のタイトルが出た後、ベッドで目覚める別の男性。遠く汽笛の音が聞こえ、窓のカーテンを開くと、夜間飛行の航空機が着陸してくる遠景。
どうやらここは、海辺の飛行場が近くにあるタワーマンションかホテルの一室のようだ。彼は、白樺林が描かれた壁に耳を当て、そこを押し始める・・。
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ホーリー・モーターズ
(C)Pierre Grise Productions
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いつの間にか彼の右手の人差し指は「鍵」に変わっている。それで壁にあったカギ穴を廻し、思いっきり押すと壁が向こう側に崩れる。
するとそこは劇場のようだ。満席の観客の誰もが闖入者に気を留めることもなく上映中の映画に釘付けになっている。
彼は、最後尾の手すりに掴まったまま映画を観はじめる。その映画こそが『ホーリー・モーターズ』のようだ。
レオス・カラックス監督
この冒頭の人物こそ、レオス・カラックス監督本人。実に凝った趣向の導入だが、その異様なシチュエーションにどんな意味があるのかは分からない。
一方、劇中劇『ホーリー・モーターズ』の主人公は初老の紳士であるオスカー。
巨大な白いリムジンに乗り、秘書あるいは執事と思われる女性が運転しながら「今日のアポイントは9つです。詳細はそのファイルに。ご準備を。」と告げる。
オスカーは会社の社長か役員のようだ。
しかし、彼が「準備」を始めたのはメイク。さらに女性用のカツラを付け、老婆の姿に扮装。
セーヌ川にかかる橋の上に降りると物乞いを始める。(ええ~!)
物乞い女(オスカー)
はい、一体何が起こっているのか見当も付きません。この辺りまでは、SFかシチュエーション・サスペンスと思って観ているので、いつものドキドキ感に高揚。
しかあしっ!!(二回目だよ:笑)
二つ目の「アポ」では、いきなり全身にモーション・キャプチャーの点々を付けた着ぐるみで登場。
背景の前を走り続ける。ひたすら走り続ける。コケる。また起き上がって、ひたすら走り続ける・・。
モーションキャプチャー
さすがに「こりゃ何か違うぞ」と気づく・・どちらかと言えば、僕とカリスマ彰が高校の時に制作した『ハレンチ・コネクション/男は男である』のような前衛喜劇なのか?(大笑い)
こんな「アポ」が、脈絡もなく説明も解決もなく次々と展開される。ある時は殺し屋に、そして怪物に、娘を思う父親に、死にゆく老人に、恋人と再会する初老の男性に、極めつけは最後の「アポ」で、そこには「妻と娘が待つ自宅」と。
秘書兼運転手のセリーヌ(エディット・スコブ)が「今日は一日お疲れさまでした。明朝もまた同じ時間に。」と去って行き、オスカーが玄関に入ると、そこで待っていたのはチンパンジーの母娘。
チンパンジーの母娘と
オスカーは驚く様子もなく、二人(二匹?)を連れて二階の窓辺で夜空を眺め、そこで終わり・・って、えええええ~!!!!?
いやコレ、一回目見終わった後は、全く理解不能。難解なんてレベルではなく、鼻っから制作者は観客に理解させようとはしていないのでは? うむむむむ・・。
もしこれがカリスマ彰だったら何と評するだろう・・おそらく「思わせぶり」・「独りよがり」と一刀両断するか、それとも真逆に「歴史に残る名作」と呼ぶか、どちらかなんだろうな。
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ホーリー・モーターズ
(C)Pierre Grise Productions
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僕が最も理解不能だった「アポ」がオスカーが怪物メルド(フランス語で"クソ"のスラング)に扮するエピソードで、一人の写真家が有名モデルの撮影会場に出現したメルドに目を留め、「あの異様なヤツとこのモデルのツーショットを撮りたい」と助手の女性に撮影交渉させる。
ところがオスカーは突如暴れ出し、助手の指を食いちぎるとモデルを略奪して地下水路から墓場のような場所に。
そこでマジマジと女性モデルの豊満な胸を見つめ・・(当然、コトに及ぶと思いきや)、彼女の衣服を喰いちぎった布で胸を隠し、ベールのような形にして顔を覆い、さながらイスラムのブルカのように眼だけを露出した格好にさせる。
そして自分の服を脱ぎ全裸になると、既に一物は天を突かんばかりに怒張の極み(日本版ではボカシがかかっています)。
女性モデルと怪物メルド
今度こそ事に及ぶと思いきや、彼女のバッグを奪い中身をぶちまける。そこに落ちた紙幣を鷲掴みにして「ナンだ、目的は金だったのかい!」と思わせた刹那、その紙幣をムシャムシャ食べ始めたのです。(えええ~!)
次には女性モデルの頭にかぶり付き、「ナンだ、人喰いの話だったのかよ!」と思わせると、彼女の髪を食いちぎりムシャムシャと。(いったい何なんだお前は!)
札束と髪の毛を食べて満腹したメルドがいよいよ事に及ぶのかと思いきや(←コレばかりで恐縮です)、彼女の膝枕で横になる。股間の怒張は天を向いたまま。
そこで突然、女性モデルは子守歌を歌い始める・・そこで、この話は終わり。
えーーどうです、意味分かります? 何か深遠な意図でもありそうですか??
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怪物メルド
(C)Pierre Grise Productions
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実はアーティストを名乗る人々には、こういうタイプがよくあり、沢山出会って来ました。
本質は独りよがりなのだけれど、自分でも意味が分からない突飛なモノを作って作品と称し、誰かが(誤った)深読みをして褒めてくれる事を期待する人たち。
もちろん僕が厳選した「岸波通信」の投稿作家さんにはそんな人は居ませんが、10年ほど前、会津漆の芸術祭で、コメンテーターとして現代美術の解説者北川フラム氏が言った言葉を今でも覚えています。
北川フラム氏
彼いわく「現代アートの90%はシルバーフレームが無ければ只のゴミ」と。
自分だけが「ゴミ」にしか見えないのかと劣等感に苛まれていた僕にとって、その言葉はまさに天啓。「そうか、そうしか見えない時はゴミと言っていいんだ。」
今回の『ホーリー・モーターズ』も思わせぶりなセリフで深遠な思想を演出しているように見えるが、やはり「ゴミ」なのではないか?
だけど、そんな作品なのに、英BBCが発表した「21世紀の偉大な映画100選」では16位にランクインしているのです。いったい何故なのか?
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ホーリー・モーターズ
(C)Pierre Grise Productions
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ということで、改めてレオス・カラックス監督について調べてみる。デビューは20歳で監督した短編『Strangulation blues』・・この作品がエール映画祭グランプリを受賞する。
1983年、23歳で制作した『ボーイ・ミーツ・ガール』が大成功を収めて、冒頭の「BBC(恐るべき子供達)」に列し、特に彼は「ゴダールの再来」という賞賛を浴びることになる。
『ボーイ・ミーツ・ガール』
その後に世に問うたのが1986年の『汚れた血』、1991年の『ポンヌフの恋人』で、これらは主人公の名前がいずれも「アレックス」であったことから、『アレックス三部作』と称され、高い評価を得る。
三人のアレックスを演じたのは同じ俳優のドニ・ラヴァン。彼は『ホーリー・モーターズ』の主人公オスカーも演じている。
僕は代表作のアレックス三部作を観ていないので、最後の『ポンヌフの恋人』について調べてみましたが、これが中々泣ける作品でして。
フランス映画と言えば「バッド・エンド」がお家芸で、実際、『ボーイ・ミーツ・ガール』や『汚れた血』もそうだった。
でもこの『ポンヌフ恋人』は、お金のないルンペンの青年と失明が進行する画学生の恋を描いた胸に迫るストーリー。
しかもラストはハッピーエンドとは呼べないけれど「救い」がある。
『ポンヌフの恋人』
やはり単なる独りよがりではなく、いっぱしのアーティストであったことは間違いない。
そこで、合理的な解決をこちらで考えてみる。これはもしやカラックス監督が見た「夢」をそのまま描いたのではないか。
前に「インセプション」の解説の中で筒井康隆の「夢作品」について紹介しましたが、突然の場面の飛躍、辻褄が合っていないのに不思議とスルーされてしまう感覚は、あれと同じものを感じたのです。
そう考えた時、複雑に絡み合った紐が解けていくような気になりました。
カラックスは元々、寡作な監督で、若い時のアレックス三部作で一気に頂点を極め、三作目の『ポンヌフの恋人』では、パリ郊外に実際のパリの風景を再現した巨大セットを作って資金的に行き詰まり、大変な苦労をしています。
結局、解体資金がなく、セットは現在も残っている。
今も残る映画のセット
また、当初予定された映画のバッドエンディングに主演女優で恋人であったジュリエット・ビノシュが異を唱え、改変せざるを得なくなりました。また、ビノシュとは、その諍いも一因となり破局することに。
資金的な苦労、恋人との破局・・彼は「引退宣言」をします。
そこから8年、1999年に引退宣言を撤回して撮ったハーマン・メルヴィル原作の「ポーラX」は難解すぎて興行的に失敗。
さらに2007年、日仏合作のオムニバス映画『TOKYO!』の一篇に怪物メルドを登場させて参加。しかしこれは、日本を侮辱した酷い内容で惨憺たる結果に。
かくして長編映画としては「ポーラX」から数え、"レオス・カラックス 13年ぶりの帰還"と銘打たれたのが今回の『ホーリー・モーターズ』でした。
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ホーリー・モーターズ
(C)Pierre Grise Productions
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その内容に一定の映像美は感じるものの、陰惨で暗鬱なトーン・・まるで老人が過去の栄光を夢の中で思い出しながら、人生を辿るように。
実際、『ホーリー・モーターズ』の「各アポ」シーンには、『TOKYO!』の怪物メルドばかりでなく、アレックス三部作のオマージュが色濃く現れます。
八番目の「アポ」で登場する初老の紳士は『ポンヌフの恋人』のアレックス(俳優も同じドニ・ラヴァン)で、かつての恋人ミシェル(この映画では「ジーン」)と再会し、失われた20年の歳月を20分で取り戻そうとするのです。
ミシェル(ジーン)役は別の女優(カイリー・ミノーグ)。結果はミシェルの飛び降り自殺でバッドエンドとなる。
また、映画に脈絡なく挿入された綱引きをする男たちの映像は、映画黎明期のエドワード・マイブリッジの連続写真でしたし、秘書兼運転手のセリーヌが顔に付けた仮面は、セリーヌ役のエディット・スコブ自身が1960年に主演した『顔の無い目』のオマージュであることは明らかです。
セリーヌの仮面
このように、パリを舞台にした様々な映画がオマージュとして登場していますが、それは、オマージュそのものを目的としてカラックスが緻密に練り上げたものではなく、(あくまで僕の私見ですが)彼自身が若き日に栄華を極めた日々をノスタルジックに回想した「夢」ではないかと感じるのです。
それほど陰鬱で後悔に溢れ、失われた時を懐かしむ哀切に満ちているのです。
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ホーリー・モーターズ
(C)Pierre Grise Productions
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八番目の『アポ』で引き裂かれた20年を20分で取り戻すためにミッシェル(ジーン)は歌います。
「私たちは誰だったの? 私たちが私たちだったあの頃
私たちはどうなったの? もしあの頃 別の道を選んでいたら」
ミシェルはアレックスとの間に子をもうけたが亡くなってしまい、そこから二人に距離が出来て別れてしまったこと。現在の自分には別の恋人がいるが、心の恋人は今でもアレックスであること・・切々と歌います。
しかし、アレックスはミシェルに言います。「時は僕らの味方じゃない。僕はいくよ。」
アレックスとミシェル
そしてミシェルは廃屋のビルから身を投げ、アレックスは絶叫しながらセリーヌが待つリムジンに逃げ込みます。
そして、初めて車の中で今のエピソードを無かったことにせず、さめざめと泣くのです。
最後に・・「アポ9」で家路に向かう時に流れる歌。
「人は望む 生まれ変わりたいと
もう一度人生を生きたいと
同じ人生を」
それはまさに、カラックスが夢の中で何度も見たであろう心の叫びだったのではないでしょうか。
/// end of the “cinemaアラカルト267「ホーリー・モーターズ」”///
(追伸)
岸波
結局、カラックス一番撮りたかったのは「アポ8」の『ポンヌフの恋人』後日談なんだろうと思います。
当時の恋人ジュリエット・ビノシュの反対に遭って「救い」のあるラストにせざるを得なかったけれど、今回の『ホーリー・モーターズ』では、その後二人に訪れた不幸と破局を示し、20年を経た再会の物語で、より破滅的な結末に導く・・ようやく彼が意図したバッドエンディングが実現した訳です。
しかし、どうなんだろう?
僕は、物語には「感動」がなければ意味がないと考えている者です。人間の不幸を嫌というほど見せつける制作者の意図は理解できません。
とどのつまりこの作品も一部の支持者・評論家からカルト的な支持があったものの、興行的には失敗作と言えるでしょう。(BBCの「20世紀の偉大な映画」第16位も支持できません。)
そんな才能の限界を一番よく知っていたのがカラックス自身ではなかったか。
だからこそ、映画の最後に唱えられる「アーメン」の一言は、自らの映画人生への鎮魂歌(レクイエム)ではなかったのかと思うのです。
では、次回の“cinemaアラカルト”で・・・See you again !
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ホーリー・モーターズ
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