こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画と筒井康隆があった岸波です(笑)
そのリアルを疑え。
現実が消えていく世界で、
僕らはどんな愛を知るのか。
今回から遂にっ!! 劇場封切り作品をケイコと二人で観た映画だけを対象にしてきた僕(担当)のcinemaアラカルトですが、家庭でのビデオ鑑賞作品も対象にすることにします。と、いうのも・・・
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Stay
(C)20thCenturyFox/Photofest/MediaVastJapan
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昨年初めからのコロナ禍で劇場まで足を運ぶ回数がガクッと減り、逆に「おうち時間」でamazonプライムのストリーミング映画を観る回数が増えたからです。
しかも、大作映画の公開が見送られたり大幅に公開時期が遅れたりという中、昔懐かしいアニメのリバイバル公開や限定的な場所でも撮影できるラブコメディーばかり制作されたりと、すっかり劇場へ行く意欲を失ってしまったのです。
ともあれ、しばらくはこの状況が続きそうな雲行きなので、PC鑑賞した数多くの作品から記憶に残ったものをご紹介することにいたします。
では、その一本目は「007慰めの報酬」のマーク・フォースターが監督し、ユアン・マクレガーやナオミ・ワッツが出演した2005年の映画「Stay」です。
日本公開は2006年6月3日でした。
この映画の冒頭は不思議なシーンから始まります。
橋の上で追突事故があったらしく、車が大炎上しているのですが、その傍らに事故のことなど全く気にも留めない様子の若い男性が、ターミネーターの出現シーンのような格好でうずくまって動きません。
さて、この青年ヘンリー(ライアン・ゴズリング)は何故そこにいるのか?観客がいぶかしむ間もなく、青年はすくっと立ち上がって橋の出口を目指す・・。
この「何が起きているのか分からないドキドキ感」、大好物です。
239で書いた「ジョジョの奇妙な冒険」のような空気。
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Stay
(C)20thCenturyFox/Photofest/MediaVastJapan
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その後場面が転換し、以後は精神科医であるサム(イアン・マクレガー)視点の物語となります。
そしてある日、彼のオフィスに青年ヘンリーが現れ「土曜の深夜24時に自殺する」と告げて姿を消す。まさに「いったい何なんだ」という展開。
精神科医サムは、恋人のライラ(ナオミ・ワッツ)の力を借りながら消息を消した青年ヘンリーを探し回ることになるのですが、その過程で次々と不可解な現象が起きはじめます。
ライラ(ナオミ・ワッツ)
二人で歩きながら話していたサムが振り返るとライラが煙のように消えていたり、 自宅の留守電に見覚えのない自分のメッセージが入っていたり、探し当てたヘンリーの母親が突然頭から血を吹き出したり・・。
あげくその母親の知人から「ヘンリーの両親は数週間前に事故で亡くなっている」と告げられたり。
「これはスタンド攻撃だ!」と思わず叫んでしまいそう(笑)
スタンド攻撃
その後もどんどん世界は歪みはじめ、主人公の精神科医サムも「この世界は本当に現実なのか」と疑い始めます。
えー この辺まで読んで「これは好物だ!」と思う向きは是非、この後は読まずに実際の「Stay」を鑑賞されることをお勧めします。
ここで僕は唐突にSF作家筒井康隆氏の「夢作品」について記憶が蘇りました。
筒井康隆作品は学生時代にJUN(海外駐在員便り)の影響で大ハマりしたのですが、SFと言えばスペースオペラと思い込んできた自分の常識が完全にひっくり返りました。
その中で何本かある「夢作品」の事ですが、彼は面白い夢を見て目覚めた時は、すぐに枕元に用意したネタ帳に断片をメモするのです。
そしてそれを、そのままのストーリーで小説化。なので当然、辻褄の合わない事が起きてくる。
たとえば、夢小説・代表作の一つ「夢の木坂分岐点」の主人公はプラスチック工場に勤め小説を書くのが趣味という人物。
夢の木坂分岐点
ところが話が進むと、いつの間にか主人公の名前が「地の文」で微妙に変わっている。(最初は誤植だと思いました。)
それとともに、主人公を取り巻く世界の様子もまるで平行世界の出来事のようにずれてきます。
主人公が妄想を述べている会話が、いつの間にか「地の文」に入れ替わり、その世界の中でまた主人公が夢を見たり・・結局、主人公の名前は10種類くらいに変化していくのです。
そう・・239回で、クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」について書きましたが、あれは”夢のまた夢”が4段階+アルファ。「夢の木坂分岐点」は遥かにそれを凌駕します。
筒井康隆翁
そしてラストは他の筒井流・夢作品と同様、合理的な解決が用意されていません。だって「夢」なのですから。もはや読者は不可思議世界の中で途方に暮れるしかありません。
通常「夢オチ」というのはSFの禁じ手と考えられています。散々、読者を引きずり回した後で「これは夢でした」では商業作品としては成立しない。
しかし、筒井康隆はそこに真っ向から挑戦し、明らかに夢・妄想である事を前提としながら香り高いSF文学にまで昇華させています。
カフカの「変身」もある意味そうかもしれない。
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Stay
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さて、今回の映画「Stay」はどうなのか?
中盤から激しさを増す異常現象はそれが現実ではあり得ない事に気づかせるし、青年ヘンリーに「だから自殺をすれば現実世界に戻れる」という動機を告白させます。
その告白は精神科医サムにとっては逆に衝撃だったでしょう。
職業的倫理観からヘンリーの主張を否定せざるを得ませんが、不可思議世界で途方に暮れているのは彼自身も同じなのですから。
果たしてマーク・フォースター監督は「これは精神科医サムの夢でした」以外の結末を用意できるのか・・観衆の興味はその一点に凝縮されます。
ご安心ください。ラストで思いもよらない「解決」が用意されています。
※敢えてここは伏字にします。以下を反転表示でご覧ください。↓↓
ラストシーンでは『自動車事故を起こして瀕死のヘンリーを、たまたま通りがかった医師のサムと看護師の資格を持つライラが必死に励まし、二人の腕の中でヘンリーは力尽き死んでしまいます。つまり、このラストシーンだけが「現実の世界」で、それ以前は全てヘンリーが死ぬ直前の「走馬灯の世界」だったのです。』
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Stay
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このひねった「解決」には、おそらく賛否両論があるでしょう。
しかしその数十秒のフラッシュバックで、ヘンリーが温かい両親のもとで幸せな成長を遂げてきたこと、間もなく恋人のアシ―ナを両親に紹介し幸せの絶頂を迎えるはずだったことが明らかにされ、胸が締め付けられるような思いになりました。
またサムとライラには、ここで出会ったことが切っ掛けとなり、互いに思いを寄せていく未来が暗示されます。
この不思議な「愛」の物語・・僕は心に残る一作となりました。
/// end of the “cinemaアラカルト241「『Stay』そして筒井康隆」”///
(追伸)
岸波
改めて振り返ってみると、この映画のキャッチコピー『そのリアルを疑え。 現実が消えていく世界で、 僕らはどんな愛を知るのか。』というのは、見事に映画の内容を凝縮していますね。
さて、筒井康隆はエッセイ「着想の技術」の中で、夢見に関するこんなエピソードを紹介していました。
『着想の技術』(筒井康隆)より
◆「殺人を犯してしまった夢」の話
死体を気にしているのならそんなことしなければよさそうなものだが、死体のことを忘れてつい庭土をいじってしまう。あっ、あれが出てくるな、と思った時はすでに遅く、たいてい庭土がごぼりと陥没して箱の一部が見えているのだ。 |
いやぁ実は僕もこういう夢を見たことがあり、恐ろしい思いをしました。相手はどう考えても現実に存在しない人物でしたが。
夢の中である日、自分がマインド・コントロールで殺人の記憶を封印していた事実が蘇えるのです。
そして、よせばいいのにその現場をもう一度見てみたい衝動に駆られるのです。確かそこには大金を埋蔵していたはずだと(笑)
で案の定、そこに目撃者が現れ、あたふたと隠ぺい工作をするのですが、これがボロボロ。ヒロインも登場するのですが、それがうちのカミさんではなく何故か柴咲コウ(大笑)
目覚めたら寝汗びっしょりで、「今のは夢だ!」と三回自分に言い聞かせたりして。あらららら。
あれで小説書いてたら、サスペンス大作にはなりそうも無いけど、筒井風スプラッタ・コメディくらいにはなったかも。
待てよ・・そもそもそんな夢を見た原因は、先の「着想の技術」を読んだせいだったかも。う~むぅ・・。
では、次回の“cinemaアラカルト”で・・・See you again !
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Stay
(C)20thCenturyFox/Photofest/MediaVastJapan
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