日本海の夕日、そして「邪馬臺」 by 葉羽
今回の写真は「日本海の夕日」。なっちヤンが山形に行った時に撮影したものです。
実は今日、残念な出来事がありました。
この写真館でもBGMのメインサイトであった「BGMの小箱」さんがサイトを閉鎖されたことに気付いたのです。
癒し系で情感たっぷりな「なっちヤンの写真館」にピッタリのBGMサイトだったので残念でなりません。
そんな時の流れというものに想いを巡らせた時、この写真の風景と相まって、ふと脳裏に浮かんだ曲が、まっさんの「邪馬臺」でした。
『盲いた詩人はいつも ザボン口に運び乍ら
想い出たどる様に 見えない目を開いて
静かに海を観てた
幻の国の事を まるで故郷を語る様に
道程について 風景について
優しく僕に話した』
同じくまっさんの「風の篝火」のように、重厚でスケール感の大きなこの曲は、僕のお気に入りの一つで、あまりの難曲のためにカラオケにも入っておらず、自分のギターで歌うばかりなのですが・・。
彼の曲の多くがそうであるように、この曲の情景もまた実話に題材を採ったものだと思います。
ヤマタイコクの探求と言うロマンに生涯をかけた男の情熱と切なさが胸を締め付けます。
最近、僕も歴史の中に生きる夢を見ます。
かわぐちかいじの「ジパング」を通読しているせいもあるでしょうか。
人類の未開の時代にタイムスリップして、何とかその時代の人々に無益な殺し合いを止めさせて、現代社会の文明や技術を伝えようと奔走する夢です。
シリーズで夢見るものですから、まるで「もう一つの人生」を生きているような感じになり、「星の時計のリデル」のように、どちらの自分が現実なのか分らなくなるくらい奇妙な体験が続いています。
あまりに面白いので、機会を見て「通信」にも書こうかと思っていますが、そんな昔の時代の中で、僕が毎回身もだえするのが、「ラーメン」が存在していないこと。
だって、醤油も味噌も存在していませんし、小麦は見つからないし、たとえ見つかっても製粉する技術はないし、なんと言っても、ダシを作るために、豚を養殖したり、危険な海にカツオを獲りに行かなければならないのですから!!
(photo by なっちヤン「日本海の夕日」)
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