「Ice Cubes」 by Fra's Forum♪

 

 

 

 

 

 


◆ 駐在員生活の思い出/再び駐在生活の始まり

19954月、会社が課制からチーム制に移行し国際営業部管理チーム・チームリーダーとなる。

 それまでの課長代理、主任などの役職はなくなり、リーダーとチームメンバーだけの構成となった。

基本給を決める職階はいままで通り)

 また社内では、役職名ではなく部長や取締役もさんづけで呼ぶようにとかよくわからない運動も始まった。

逆に取締役がぺいぺいを呼ぶときも呼び捨てでなくさんづけするようにとか)

 この年の株主総会はしゃんしゃんで20分で終わる。

当時の株主総会はまだ総会屋が跋扈していて場を仕切っていた。当社の総会屋はかなり小物だったが)

旧:東京相和銀行

 8月、金融公庫で借りた住宅ローンを会社の近くにあった東京相和銀行(現東京スター銀行)に借り換え手続き。年間返済額を150万円から100万円ほどに減らすことができた。

 830日、この年も国税局の調査が入る。今回は国際専門官とやらが来て、いろいろと細かい質問をされ、対応に四苦八苦していたが・・・

 914日、突然部長(ジャカルタ時代の所長が1994年本社に上がってきて国際営業部長になっていた)から、フィリピンに現地法人を立ち上げるので、元JKUCAT所長とマニラに赴任してくれと!

 しかも20日には出発するように、と!!

JKUCAT所長は、ケニアのセメント工場で施主とけんかして出禁になり、本社に戻っていた・・・)

 マニラは1986年の三井物産マニラ支店長誘拐事件や、犯罪者が国外脱出してマニラのスモーキーマウンテンに潜伏するなど、治安が非常に悪いイメージがあり、実際に当社の出張者もレストランで銃を突きつけられて金を取られたり、ホテルでパスポートを置き引きされたりと物騒な事件が頻発していた。

マニラ支店長誘拐事件

 また深田祐介の「炎熱商人」で描かれたように反日感情が強いと思われ、まったく気が進まなかったが、今回はJKUCAT所長の強い要望もあって断る選択肢はなかった・・・

深田祐介はインドネシアを舞台にした「神鷲(ガルーダ)商人」の他、「暗闇商人」でも若王子事件を扱ったりとぼくがかかわった国の興味深い話を題材にしていた。 あの大ヒットドラマ『スチュワーデス物語』が深田祐介原作と知った時は驚いたが)

 1995920日、早朝家を出て宮原駅でたいたい、子どもたちに送られ成田へ。

 長女が高校受験の塾通い中、長男の12歳の誕生日の前日、マニラに向け飛び立つ。

 当時はマニラ空港も世界最悪空港と呼ばれるほどで、空港職員の汚職が横行し設備も劣悪だった(↓)


 とりあえず事務所、職員宿舎が決まるまでの拠点となるNEW WORLD HOTELにチェックイン。

NEW WORLD HOTEL

 このあと25年続く3度目の駐在生活の始まりだった。

 スモーキーマウンテンは長くフィリピンの貧困の象徴とされ、それを国家の恥と認識したフィリピン政府は、ぼくが駐在していた199511月に住民を退去させ、強制撤去に踏み切った。(↓)



 #233送ります。

 暑くなってきて最近は頭がぼーっとしててやばい感じ。

 ボケ防止の脳トレで新しい歌を覚えようとしてるけど、 歌詞もメロディもなかなか覚えられない💦

(ちょっとやばいかも)

 (2026.7.26up)

葉羽しょうがないさ、最近の曲はメロディが複雑だからな・・待てよ、昔の曲か?(笑)

 

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