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| ◆ 駐在員生活の思い出/ナイロビからの帰国
翌24日、ホテルから事務所へ向かい事務所前の駐車場へ車を止める時に信号を無視してしまい、近くで交通整理していた警官がわらわらと寄ってきて財布の中にあったケニアシリングをすべて取られてしまった。
この日あったJKUCATオープニングセレモニーは出席せず残務整理。 昨年2月の調印式に来た副会長がまた出張してきて、所長、ナイロビ事務所長と出席していた。 仕事の合間に日本人がよく利用する宝石店MALで土産のラピスラズリなど買いこむ。
3月25日朝、マイクロバスで空港へ。 所長、事務所長一家、子供たちの友達一家たちに見送られ、スイスエアーでチューリッヒへ。(news-163~166)
1993年当時、日本ではすでにバブル経済が崩壊して景気が落ち込んでいたが、建設業界では公共事業など建設投資に支えられてまだ好景気が続いており、92年冬のボーナスも史上最高額だった。
ゆえに気が大きくなっていて、帰国便は家族5人、ファーストクラスに乗ることにし、チューリッヒ経由のスイスエアーを予約。 当時、ケニアで購入する航空券は日本で購入する場合の半額程度で、ファーストクラスの料金もそれほど高くなかった。
会社負担で購入するビジネスクラスの料金との差額だけ払えばよかったので、ぼくとたいたい、子供たち3人(小学生は大人料金の50%だった)の5人分の個人負担の金額は3千ドル(40万円弱)程度だったと記憶している。 現在の料金を調べてみたら、東京-ナイロビのヨーロッパの都市経由ファーストクラス片道料金は大人300万円、子ども(2~12歳まで)220万円ほどで、5人で1,260万円もかかってしまう。
あの時思い切ってよかったと思う。文字通り一生一度の経験で今後も乗ることは絶対にないだろうし。 26日、チューリッヒからローマへ。Hotel Jumboチェックインしトレビの泉、パンテオン神殿など見て回る。 27日、ベネチア広場から世界最小国家・バチカン市国へ。サンピエトロ大聖堂見学。下は、バチカン行政庁舎。サンピエトロ大聖堂展望台から撮影。
地下鉄でスペイン広場行き、ローマの休日のヘップバーンをまねてジェラードを食べ、カラカラ浴場、コロッセオを見て回る。
28日、この日から夏時間で1時間時計の針を進める。 チロリアンエアーでローマからインスブルックへ。汽車を2回乗り換え国境越えてオーバーアマガウへ。 29日、タクシーでリンダーホフ城へ。アルペンホテル・ヴァインバウアーにチェックイン。ホテルから雪道を歩いてノイシュバンシュタイン城。
30日、バスでフュッセンへ。汽車でアンスバッハから2回乗り換えシュタイナッハ。ローゼンベルク城壁内散策。 31日朝、ホテルから歩いてローゼンベルク城壁内へ。 13:15発ローカル列車でミュンヘンへ(2回乗り換え)。ミュンヘンからきれいな列車でザルツブルクへ。19:40ザルツブルク着。 4月1日、たいたい熱望のOriginal Sound of Music Tourへ。デュルンベルク山、岩塩坑めぐりして、ミラベル宮殿(ツアー発着ポイント)散策。夕食はモーツァルト生家近くのレストランで。
2日、ホテルから歩いて修道院、教会を見学。ケーブルカーでホーエンザルツブルグ城。ドレミの階段で遊ぶ。 13:45発オーストリアエアーでチューリッヒへ戻る。Left Baggageで段ボール7ケ200KG受取りホテルバスでSwissotel Internationalへ。 たいたいとコインランドリーで洗濯。トラムで中央駅行き有名店「Le Dezaley」でフォンデュ。 3日、10時発ホテルバスで大荷物と空港へ。
4日、0750成田着。チェックイン荷物14個もあったが、税関も3人の子連れ旅行者をノーチェックで通してくれ、実家のばば、妹、義実家のじじばばに迎えられる。
上は、土産で喜ばれたラピスラズリ(和名「瑠璃」)。夜空を閉じ込めた石と称され、世界最古のパワーストーンの一つ。
西武新宿線新狭山駅前ホテル「松井」泊。駅から徒歩5分の社宅の部屋下見。 4月5日(月) 出社。国際支店管理課副課長の辞令を受け取る。 #227送ります。 今回の原稿を書くにあたり日記を読み返していたら、当時ほんとに派手な生活してたな。 バブルのころはどんどん給料も上がっていって、未来は明るいと思ってた。 現実は会社が債務超過になったり、合併したり、買収されたりで大変なことになるんだけどね。
(2026.6.14up)
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