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| ◆ 駐在員生活の思い出/幽霊の木と人喰鉄道
高地のナイロビはマラリアもなくて実に過ごしやすいけど、夏休みはやはり海で遊びたいよね。 翌日から仕事にもどり、あいかわらず忙しくはないものの、我が家(ヘリテージコートNo.8)の隣(No.7)に住んでいたインド人たちが、宿舎に幽霊が出るので引越したいと言い出し、新しい家を探すことに。
宿舎の前の木の枝にぶらさがっているとか、夜寝ているとベッドの上に乗ってくるとか本気で怖がっていた。 所長が帰国した後、宿舎にはインド人エンジニア三人の他、日立プラントの日本人やYKKのシンガポール人が住んでいたが、彼らはまったくそんなものの気配を感じないと言っていたのに・・・ インド人三人の内、二人は所長がイラク勤務時に使っていたサブコンのインド人社長を通してリクルートした人材でかなり優秀だった。
プロジェクト開始前の1990年2月、まず日本に来て雇用契約を結び、プロジェクト開始前の準備作業などしていた。 滞在中はぼくが生活全般の面倒を見ていて、黄熱病の予防注射や乗り込み時の航空券、VISAの必要書類の手配なども。 一人はヒンドゥー教徒、一人はムスリムで食事の世話はなかなか面倒だった。 下の写真は、宿舎(No.7)で長男と遊ぶMr. Rathod(ヒンドゥー教徒)、Mr. Sathak(ムスリム)。そして長男の左は日立プラントの日本人エンジニア。↓
まあ、どちらもそれほど敬虔なタイプではなく酒やたばこもそれなりにたしなんでいたのでまだ助かったけど。
もう一人、プロジェクト開始後インドから乗り込んできた設備担当エンジニアも含め、彼らが通常日本人がする仕事をしっかりこなしてくれたので、プロジェクトの利益率は非常に高く、社長賞を受賞できた。 休日にはたいたい、子供たちと一緒にはとバスで東京観光したりし、ケニア乗り込み後もよく遊んでくれたので、子供たちもなついていた。 一方、我が家のメイドさん(カンバ族のかわいい娘で、料理の勘も良く、たいたいが日本料理を教えたりしてかわいがっていた)と危ない関係になったり、ニューデリーの妹さんがガス爆発で亡くなって急遽帰国したり、車で通勤時にインパラを轢いたり、スピッティングコブラにスピットされて緊急入院したりとケニアでもいろいろ世話が焼けた・・・
いくつかの不動産屋やインド人サブコンのつてを頼ってあちこち探しまわってもなかなか彼らの納得する家が見つからず苦労したが、鹿島建設から出向で来ていた日本人夫婦がちょうど帰国する時期で、住んでいた家のサブリース先を探していて、かなりの好条件で借りることができた。 一緒にゲームをしたり、カラオケをして遊んでいた子供たちが寂しがっていたけど・・・ 当時駐在していたケニアではインド人が多く暮らしていて、おいしいインド料理店も多くあって家族でよく食べに行ってた。
ちなみにケニアのインド人はウガンダ鉄道建設のための労働力として大英帝国から移入されたものの子孫がほとんど。 1896-1902のナイロビ-キスム間建設が始まりで、かなりの難工事だった。 1898年ツァボ川にかかる橋を建設中の夜、2頭のライオンが数十名のインド人労働者、アフリカ人を殺害した事件など建設中に約2500人の労働者がなくなっている。(NEWS-155) 下は、英国軍人・パターソン中佐が仕留めた一頭目の人食いライオン。
二頭目もパターソンが仕留め、剥製にされてフィールド自然史博物館に展示されている。たてがみがないがどちらもオス。↓
なお、戸川幸夫原作の「人喰鉄道」を「少年ケニア」の漫画家・石川球太が漫画化した。
掲載された少年サンデーを読んだ記憶がある。
#204送ります。 光陰矢の如し。 ほんとに早いね。
(2025.12.28up)
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