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| ◆ 駐在員生活の思い出/モイ大統領の治世
さすがに警戒超厳重だったため、式の様子を見ることはできず、現場の作業は休みにして事務所でおとなしくしていましたが・・・ ケニアの第2代大統領、ダニエル・トロイティッチ・アラップ・モイは1978年、初代大統領ジョモ・ケニヤッタの死亡に伴い副大統領から昇格。 2002年12月まで5選、24年間大統領を務める。ケニア・アフリカ民族同盟 (KANU) 所属。少数民族・カレンジン族出身で自民族を優遇し多数派を冷遇。 強権、独裁政治への批判が強かったが、違法取引の象牙の山に、大統領自らが火を点けて燃やすパフォーマンスは世界的に有名になった。
1992年に国民の不満が高まってKANU一党独裁から複数政党制への移行を認めざるを得なかった。 その年の12月29日総選挙があったが、政情不安で治安が悪化しケニア在住の日本人は多くが国外退避。我が家は選挙期間中エジプト旅行に出かけた。 そして、2020年2月4日、95歳で死去。 ぼくがいたころのケニアの紙幣は10, 20, 50, 100, 200, 500シリングすべての紙幣にモイ大統領の肖像が描かれていた。硬貨も同じ。
ケニアでも、休日の楽しみはゴルフでした。 毎週のようにたいたい、子供たちの冷たい視線の中自分で30分~1時間車を運転して近郊のコースへ。
コース内を列車が通過したり、馬が走り抜けたり、カメレオンがゆっくりとフェアウェイを横切ったりすることもあり、一方でスコットランドのセントアンドリュースを彷彿とさせるウィンザーゴルフ&カントリークラブのような優雅なコースも。
インドネシアでかかったフック病が再発して、初めのころはなかなか100も切れなかったのが、ナイロビは高地(ナイロビ市内は標高1700メートル、リムールカントリークラブなどは2100メートルも)で、ボールがよく飛び気持ちよくドライバーを打っているうち(たまに300ヤード近く飛んだことも)、フックも治りスコアもまとまってきました。
そのうち80台のスコアで回れるようになって、これからバンカー、アプローチショットを改善し、パットを磨けばシングルプレーヤーになれると本気で思っていました。
このころがぼくのゴルフ人生のピークだったのだなあ・・・ #184送ります。 ほんと毎回遅くにごめん。 今日も草加にたいたいと二人、孫の世話しに行って、遅くなった。 孫二人と4人でカラオケ行って、小5の孫娘はYOASOBIやらADOやらMrs.GreenAppleとか歌いまくり。
(2025.5.4up)
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