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| ◆ 駐在員生活の思い出/楽しみはカラオケ大会
現場は主任が所長代理として、事務全般担当のぼくとでインド人エンジニア、設備工事担当のダイダン、水処理施設担当の日立プラント、アルミ工事で呼んだシンガポールのエンジニアなどを使って切り盛りすることに。 所長は非常に優秀な人で海外事業部のエースでしたが、その分気性が激しいところがあり、本社サイドやコンサルともよく衝突していました。 特に直属の上司にあたるナイロビ事務所長とはそりが合わず、激しい口論をすることもたびたびで、間に入ったぼくが往生するようなことも・・・ それが、ほぼ同世代の主任と気楽に働くことになって、現場も特に問題なく順調に進み、また日本とは6時間の時差があるため、こちらが昼食を終える午後2時には日本は午後8時になって、ほとんど日本から連絡が入ることもないため完全に解放された気分でした。 このころはよく宿舎でカラオケ会をしていて、日本人クラブから寿司や焼き鳥など出前をとって現地のビールやスコッチ、ワインを飲んで大騒ぎ。 所長がカラオケ大好きだったため、日本からレーザーカラオケを持ち込んで、レーザーディスクを送ってもらい、所長の帰国が決まってからは連日送別会のカラオケ大会を開催していました。
英語の歌のディスクも2枚あって、インド人エンジニアと「雨に濡れても」や「スタンドバイミー」などを歌っていました。 子どもたちは当時はやっていた、「踊るポンポコリン」や「赤いスイートピー」、「MajiでKoiする5秒前」なんかを。
たいたいは日本人駐在員のご婦人達のボランティア団体・アサンテの会(アサンテはスワヒリ語でありがとうの意)にも参加して、バザーを開いて収益を現地の学校に寄付をしたり、孤児院を訪問したりと様々な支援活動をしていました。
子供たちも日本人学校でグレートリフトバレーにキャンプへ行ったり・・
モンバサへ遠足に行ったり・・
運動会や文化祭などで姉妹校、現地のキリマニ小学校と交流を深めたりとなかなか得難い体験をしていました。 子どもたちは、幼少期の体験を話すとみんな驚くそう。 特に次女はジャカルタで産まれ、スマトラ島北端のアルンでねえやに世話をされ、2歳半で日本に帰り、5歳になる前にケニアへ行くという波乱万丈の人生でした。 (現在/満開の桜の下で) 埼玉一の桜の名所と名高い、幸手市の権現堂堤にたいたいと行ってきました。 大勢の人の流れに沿って歩いて行き、ようやく到着するとピンクや白の桜と菜の花が咲き誇るまさに春爛漫の景色が広がっていました。
長さ1kmにわたる堤に約1,000本のソメイヨシノが咲き誇り桜のトンネルが。
桜まつり期間中は、約100店舗の露店が出店。
堤の隣には菜の花が作付けされ、桜の淡いピンクと菜の花の黄色とのコントラストが見事。
1年ぶりに上尾ラーメンランキング1位の中華そば・よしかわへ。
今回は看板メニューの煮干そばでなく、わんたん入り名古屋コーチンの炙り肉中華そば(醤油)を。
名古屋コーチンの鶏ガラベースのスープは完成度高く、実に美味。 低加水のストレート麺もおいしいのですが、味が薄い感じがして、多加水のもっちり麺で食べてみたい気が・・・ #183送ります。 先日ハローワーク行って失業手当の申請して、退職後の手続きはすべて完了。 あとは6/5ポリープ切除のため入院するまでせいぜい楽しくやろうと思ってる。
(2025.4.27up)
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