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 #173 イザベラ・バードの会津紀行

by 葉羽
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Site arranged by 葉羽

 

◆1878年(明治11年)の5月、一人のイギリス人女性が横浜埠頭に降り立った。彼女の名前はイザベラ・バード。このとき47歳。サンフランシスコでシティ・オブ・トーキョー号という汽船に乗り込み、荒涼とした太平洋の海原を横断して、日本にやってきた。

◆バードは英国国教会の牧師の長女として、ヨークシャ―に生まれた。幼少の頃から病弱で、脊椎の病気をわずらっていた。

◆健康回復の手段として、アメリカとカナダへの旅を行った。(中略)オーストラリアやニュージーランド、ハワイ諸島を訪ね、その数年後には、日本を訪れ、東北・北海道を踏破する旅を行っている。

◆それ以降も、マレー半島・チベット・ペルシャ・中国・朝鮮・モロッコなどへと、大きな旅を重ねた。その間、みずからの旅の軌跡を、何冊もの旅行記にまとめている出版している。そのひとつが『日本奥地紀行』である。

◆一人の異邦の女性が書き留めた日本や日本人の姿に、目を凝らすことにする。とりわけ、山王峠を越えて、田島から大内、高田、坂下、そして車峠から津川へと抜けて行った、一週間ほどの会津の旅の跡をていねいに辿ってみたいと思う。

◆明治初期の村々の景観は、貧しくはあれ、かぎりなく勤勉な人々によって、かぎりなく美しく演出されていたのである。明治以降の、日本の近代化を支えてきたのは、これらの勤勉な日本人だったのではないか。そんな忘れられた日本人の姿が、わずか百年あまりの昔が、いま、静かに蘇える。

(民俗学者 赤坂憲雄『イザベラ・バードの会津紀行』より)

 

 

 

葉羽 「イザベラ・バードの会津紀行」について

 2006年に発行された本で、著者は僕の県立博物館副館長時代の上司、民俗学者赤坂憲雄先生や同僚の専門学芸員佐藤長正氏ほかの皆さん。今回紹介したのは、その序章にあたる部分の抜き書きです。戊辰・会津戦争の中で会津を訪れた英国領事館医官ウィリアム・ウィリスとその10年後に訪れたイザベラ・バード・・二人の英国人が書き残した会津の姿は、僕に多くの気づきを与えてくれました。


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