◆1878年(明治11年)の5月、一人のイギリス人女性が横浜埠頭に降り立った。彼女の名前はイザベラ・バード。このとき47歳。サンフランシスコでシティ・オブ・トーキョー号という汽船に乗り込み、荒涼とした太平洋の海原を横断して、日本にやってきた。
◆バードは英国国教会の牧師の長女として、ヨークシャ―に生まれた。幼少の頃から病弱で、脊椎の病気をわずらっていた。
◆健康回復の手段として、アメリカとカナダへの旅を行った。(中略)オーストラリアやニュージーランド、ハワイ諸島を訪ね、その数年後には、日本を訪れ、東北・北海道を踏破する旅を行っている。
◆それ以降も、マレー半島・チベット・ペルシャ・中国・朝鮮・モロッコなどへと、大きな旅を重ねた。その間、みずからの旅の軌跡を、何冊もの旅行記にまとめている出版している。そのひとつが『日本奥地紀行』である。
◆一人の異邦の女性が書き留めた日本や日本人の姿に、目を凝らすことにする。とりわけ、山王峠を越えて、田島から大内、高田、坂下、そして車峠から津川へと抜けて行った、一週間ほどの会津の旅の跡をていねいに辿ってみたいと思う。
◆明治初期の村々の景観は、貧しくはあれ、かぎりなく勤勉な人々によって、かぎりなく美しく演出されていたのである。明治以降の、日本の近代化を支えてきたのは、これらの勤勉な日本人だったのではないか。そんな忘れられた日本人の姿が、わずか百年あまりの昔が、いま、静かに蘇える。
(民俗学者 赤坂憲雄『イザベラ・バードの会津紀行』より) |