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 #156 大空放哉

by 葉羽
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 その人の風格、その人の境地から生まれる芸術として俳句は随一なものだと思う。俳句はあたまだけでは出来ない、才だけでは出来ない、上手さがあるだけ、巧みさがあるだけの句は一時の喝采は博し得ようとも、やがて厭かれてしまう。作者の全人全心がにじみ出ているような句、若くは作者の「わたくし」がすっかり消えているような句(この両極は一つである)にして、初めて俳句としての力が出る、小さい形に籠められた大きな味が出るのである。

 芭蕉の境地、一茶の風格に就いては今更いうまでもない。然し、それから後、俳句と言うものが一概に趣味的な、低徊的なものになって、作者の人間、その気稟というものの出ているような作は殆どなかった。所謂「俳趣味」という既成の見方からすれば、俳句らしくなくとも、その作者の持つ自然の真純さが出ていれば、それこそ本当の俳句だ、と私は思う。そして、そのような本当の俳句を故尾崎放哉君に見出したのである。
・・・荻原井泉水編『増補版 尾崎放哉集ー大空(たいくう)』まえがきより

(以下、尾崎放哉の句集「大空」より

◆入れ物がない両手でうける

◆淋しいからだから爪がのび出す

◆母のない児の父であったよ

◆こんな好い月を一人で見て寝る

◆手紙つきし頃ならん宿の灯の見ゆ

◆なんと丸い月が出たよ窓

◆切られる花を病人見てゐる

◆せきをしてもひとり

◆つくづく淋しい我が影よ動かしてみる

◆月夜戻り来て長い手紙を書き出す

◆障子開けておく海も暮れきる

 

 

 

葉羽 尾崎放哉について

尾崎放哉は季語の無い自由律俳句の最も著名な俳人の一人。僕は何故か(理由を思い出せない)高校の時にこの「大空」を購入していました。一高、東大法科卒で生命保険会社の支店次長を務めるなどエリートコースを歩んでいた彼は、突然職を辞して放浪生活に。妻や友人とも別れ荻原井泉水に師事して俳人となります。無一文の托鉢生活を送りながら小豆島へと渡り、8か月の間、病苦に苛まれながら三千近い俳句を制作して病没。亨年四十一歳。戒名は大空放哉居士。


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