◆ラグビー日本代表だった山口良治が現役を引退して体育教師となった昭和49年当時の伏見工業は、京都中に悪名が轟く底辺高だった。カツアゲに傷害事件は後を絶たず、校内の廊下をバイクが走り回っていた。
◆「こんな我儘し放題して卒業して行って『君、どこだ』と言われた時に『いや、大した学校じゃありません』と胸張って自分の母校も言えないような、そんな寂しい生徒を世に送り出してはだめだ。母校に熱い思いを、誇りを持たせてやりたい」山口はラグビー部の部員たちが母校を変える力を貸してくれると思った。だが、そのラグビー部こそが不良の温床だった。
◆山口の熱血指導に部員たちは激しく反発。浪商の先輩指導者の好意で練習試合の招待を受けたが、当日、部員たちはボイコット。山口は試合場で相手チームの一人一人に頭を下げ謝罪して廻った。その夜、相手チームの監督に誘われた居酒屋で『お前が辛抱すれば絶対にいいチームができる。頑張れよ』その言葉に山口は泣いた。
◆昭和50年春、全国優勝の花園高校との試合で途中80対0になった時、山口の目に涙が溢れた『こんな状況で悔しいやろうな。俺は今までこいつらに何をしてやったんや・・すまん』。120対0で試合終了した時、山口は部員らに声をかけた『お疲れさん。怪我はなかったか。悔しいやろ』。言葉を受けて、ツッパリの代表だった小畑道弘が突然地面に突っ伏して泣き出した。他の選手も全員が泣き出した。
◆部員たちが心を入れ替えて猛練習に励む中、元番長の荒木邦彦がバイク事故で膝を怪我した。山口は言った『お前の身体はお前ひとりのものじゃない。ラグビーは15人が一つになって初めてボールが進む。みんなは一人のために。オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール。それがラグビーだ』この言葉は後に伝説となる。
◆翌昭和51年の府大会。決勝戦で宿敵・花園と再び相まみえ、小畑は目の上を切り鼻血を出しながら走り回った。荒木は脚がつって倒れても倒れても起き上がって走り続けた。『お前がいないと14人なんだぞ』監督の声が聞こえた気がした。伏見工業は18対12で花園を下し雪辱を果たした。
◆この試合を"京都一のワル"と言われた山本清悟がスタンドで観戦していた。『お前は喧嘩に自身があるやろ。ラグビーは喧嘩といっしょ』山口に誘われて山本は入部した。山本は二年生で高校日本代表に選ばれオーストラリアに遠征する時、再び山口から声をかけられた。『全国の少年たちはこれからお前を目標にする。もう悪さはできへんで。しっかりやれ』山本の胸は熱くなった。 |