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まっさん命の小柴
12月8日(土)「前夜祭 しゃべるDAY」の模様を報告します。
前日、夕方(17時18分)に仙台でも震度4の地震があったばかりで、開催中止あるいは延期(昨年の南会津でのコンサートは半年延期となって開催)になるのではと心配しましたが、無事開催されました。
ファンクラブの優先チケットで購入した座席は、1階・前から4列目左側。
双眼鏡がなくても十分見える距離ですが、なぜか前列に座った年配の方たちは双眼鏡を取り出し、見え方を確認していました。
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東京エレクトロンホール宮城
(宮城県民会館) |
「しゃべるDAY」なので、今日は本当に「しゃべる」だけなのか、少しは「歌う」のか期待が高まるなか、幕が上がると白で統一されたステージの中央にしっかりとギターが1本置いてありました。
(ギター交換担当の男性スタッフ○○君がギターを持ってくる度に、最初は白装束、次にコックさん、最後にウェディングドレスと毎回白い衣装に着替えて出てきて笑いを取っていました。)
今回から、トークを何回かに分けて書いていきます。
自分の記憶と参考図書(ファンクラブ会報「まさしんぐWORD」など)を頼りに書いていますが、トークショーの雰囲気を少しでも味わっていただければと思います。
まずは、-東日本大震災被災地訪問編-からです。
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しゃべるDAY(前夜祭) |
(開口一番)皆さん!よくぞご無事でお会いすることができました。
震災後の昨年4月半ば過ぎに友人の鶴瓶ちゃんから電話があった。
僕が「鶴瓶ちゃんは、みんなを励ましに早く被災地に行くべきだ」と話すと、鶴瓶ちゃんから「実は5月1日に石巻に行くのでまっさんも一緒に来ないか。お昼までに来てくれたらいいから」と誘われた。
スケジュールを確認するとその日は空いていたのでOKしたが、前日の4月30日の深夜は、佐賀で「今夜も生でさだまさし」が入っていた。
深夜の生放送終了後すぐに福岡へ移動。
ほとんど寝ていない状態で福岡空港を出発し、羽田空港で乗り換えて仙台空港へ到着。
着陸直前に上空から見た景色は想像を絶していて、声がでなかった。
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大和伸一“Lost World”より
(被災地南相馬) |
仙台空港では、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」の番組スタッフが待っていて、鶴瓶ちゃんがこの日(5月1日)を指定したのはその(=番組収録)ためだった。(笑)
次に被災地を訪れたのは、昨年6月9日~10日。
以前コンサートを大船渡に招聘してくれた“株式会社アマタケ”が被災したので、そのお見舞いに行った。
アマタケ本社にお見舞いをしてから大船渡市内の避難所に向かい歌った。
アマタケ相談役の甘竹さんのたっての願いで陸前高田へ移動して避難所でまた歌った。
するとこの会場にファンクラブの会員で薬剤師の方が来てくれていて、仮設の診療所でヘトヘトになって頑張っているスタッフを元気づけに来て欲しいと頼まれ、飛び込みで行って歌った。
そこはそれ、なんといっても診療所なので若い看護師さんに囲まれ、久しぶりに“キャーキャー”言われた。(笑)
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大和伸一“Lost World”より
(被災地南相馬) |
それから気仙沼へ移動し、船で気仙沼大島へ渡り、小学校の体育館で歌った。
ここでは、子供達のお土産に折り紙や画用紙、クレヨンなんかを先に送っておいたら、保育園の子供達から感謝状をもらった。
帰りは奇跡的に1隻だけ残った気仙沼~大島間の連絡船「ひまわり号」に乗せてもらい、船長の菅原さんから・・・
「昔から地震があったら沖へ船を出せと言われていた。
沖に出たら大きな波が来た。
真っ直ぐに登れなくてちょっと斜めに登っていって最後に波を被りダメかと思ったら、奇跡的に空が見えて助かった。
しかし、その後も津波が第6波まで来た。」
~と20m以上の大津波を乗り越えた話をじっくり聞きながら気仙沼へ戻り、その日は仙台に宿泊。
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大和伸一“Lost World”より
(被災地南相馬) |
翌朝は、8時から七ヶ浜町で行われた薬師寺の山田法胤管主による慰霊祭に参列してから石巻に向かい、5月に行った際に出会った避難所のリーダー千葉くんを訪ね、ここでも歌った。
その後、仙台へもどり新幹線で福島へ。そこから弟の運転する車で南相馬へ向かった。
南相馬の中学校の体育館で、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生の講演会のゲストとして何曲か歌い、2日間の超ハードスケジュールが終了し最終の新幹線で東京に戻った。
さだまさしが来たというだけで、ファンでなくても喜んでくれる人がいた。
僕にヒット曲が与えられ有名にしてもらったのは、こういう時のためなのだと思う。
(追伸)
年末年始の期間中にどれだけ執筆できるか、次号以降をご期待ください!!
まっさん命の小柴&さだ研【2012.12.27アップ】
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