Ayumi 前回は単身で路上に暮らす子ども、つまり「Children Of the Street」について述べました。 一方、ストリート・スクール(以下「スクール」)の子どもたちは、その80%以上が、親と一緒にスラム当に住みながら一日のほとんどを路上で過ごす子ども、つまり「Children On the Street」であることも見逃せなくなっています。
サルマのケース
サルマ(仮名、12歳、女)は、父親を小さい頃になくしているので名前くらいしか覚えていない。
父親が死んだ後、母親は再婚し、弟が二人できた。
しかし結局その再婚相手も母親の金、貴金属を持って逃げ、兄は嫌になって家を出る。
その間、母親に言われて使用人になった。
けれども4、5日で辞めた。
食事と着る物はもらえるけれど給料は一切もらえないからだ。
母親は娘を連れ戻し、しかし今度は物乞いをして日銭を稼ぐように言いつけた。 |
家にお金を
「Children On the Street」の場合、サルマのように親が再婚をした場合に「連れ子」となる子どもが外に出されるのは今回の聞き取りでも非常に多く、もはや典型と言ってよい。
「食べる物がないと外で働いて来いって言われるんだ」という不定期な場合もあれば、サルマのように365日外に出される場合もある。
あるいはNGOのマイクロ・クレジットの週決め決済を子どもの収入から充てるとい家庭の子もおり、「だからお金を持って帰らないと家にいれてもらえないこともある」という。
親との同居している子どもたちにとっては、この家庭でのプレッシャーが彼/彼女らを最も脅かし、また必要な保護や教育から遠ざける要因だった。
従って、子どもがこうしたセンターに寄ることは収入に差し障るので親からは大層嫌がられる。
だから、子どもたちは色々な嘘を上手につきながら通っている。
「今日は大きい子に拾った屑をとられちゃったんだ」とかね。
スクールは授業が一回二時間で完結するから、この子どもたちにはちょうどよい。
ちょっとだけ寄って仕事に戻る。
給食の時間に
給食について、実は私個人がためらっていた理由にはもう一つある。
それは、DICに昼時に行くと、みんなの食事の輪から離れて食べられずにいる子が必ず数人いたからだ。
その度声をかけていたが今一つ状況がわからなかった。
しかし、今回改めて話をよく聞いてみると、なるほど親と住む子どもたちはその稼ぎをほとんど一銭も自分のために使えないほど厳しく、家族に渡しているということが分かった。
つまり、昼時に外れていたのはこの「Children On the Street」だったのだ。
親にすべてのお金を渡さなければならず、許可がなければ使ってはいけないと子どもたちが強く受けとめている様子が見て取れた。
こうした中で、今までの「Children Of the Street」と少しずつ状況の違う子どもたちにも、どうしたら安心と安全を叶えてあげられるか。
チームのスタッフと改めて「Children On the Street」への取り組みについてチャレンジしていきたいことを確認しあった。
好きなプログラムは何ですか
葉羽 ここから先は、僕がご紹介します。
あゆみさんが「路上の子どもたち」に関してシャプラニール「南の風」に掲載した論文中に、以下の「好きなプログラムはなんですか」というアンケートが載っています。
これは、路上で暮らす子どもたち「Children Of the Street」と路上で過ごす子どもたち「Children On the street」に対して、支援事業のメニューから子どもたちが大切に思うものを聞いた結果です。
実際のアンケートには、もっと詳細な分析がありますが、ここではシンプルに“ストリート・スクールの男子”だけで比較します。
【好きなプログラムは何ですか】
プログラムの種類 |
Children Of the Street |
Children On the Street |
安全な寝場所や銀行 |
1位 |
6位 |
シャワーや清潔な食事 |
7位 |
2位 |
友達や先生との友情 |
3位 |
3位 |
勉強 |
1位 |
1位 |
仕事など経済的な利益 |
4位 |
7位 |
規則やミーティング |
6位 |
5位 |
TVや歌、文化プログラムや遠足などのお楽しみ |
4位 |
4位 |
これを見るといくつかの事に気付きます。
まず、どちらも1位に挙げているのが「勉強」であること。
これだけ厳しい生活を強いられている子どもたちが、共に挙げているのが「勉強」というところに価値観の確かさを感じます。日本の子どもたちでは、こういう選択は出来ないのではないでしょうか?(我が家だけかな?)
そして、「Of the Street」の子どもたちが、それと同じくらい大切に思っているのが「安全な寝場所や銀行」。この点については「On the Street」の子どもたちが恵まれていると言えそうです。
もう一つ価値観が大きく分かれるのが「シャワーや清潔な食事」。あゆみさんのレポートにもあるように、むしろ家と親のある「On the Street」の子どもたちの方が手に入れにくいようです。やはり、一旦、街に出てしまえば、たった一人で生きている「Of the Street」の子どもたちの方が生活力があるのでしょうね。
さらに、親からそれを命じられて街に出ているはずの「Of the Street」の子どもたちにとって「仕事など経済的利益」が最下位になっているのが目をひきます。
「On the Street」の子どもたちにとって物乞いなどの「仕事」は、親から命じられて仕方なくやっているという事なのでしょうか?
これが日本ならば、ちょうど「勉強」というもののポジションのような気がします。
また、日本では、「若年層の雇用の場がない」ということでいろいろな対策が講じられていますが、本音を言えば、僕自身はちっとも若者が可哀そうだとは思わないのです。
その多くの場合、「職が無い」のではなく「希望に合った職が無い」に過ぎないのではないでしょうか?
「希望に合った職」というのは、誰かに与えてもらうものではなく、自分自身で知識や技術を苦労しながら身に付け、競争の中で手に入れなければならないものだと考えています。
僕がそんな風に考えるようになったのは、中森あゆみさんの活動を通して、途上国の子どもたちが置かれている状況を知ったことと無縁ではないと思います。
Ayumi (2020年1月4日リニューアル・アップ)
|