Ayumi 私たちのプロジェクトは、路上で暮らす子供のなかでも最も厳しい状況にある単身で路上に暮らす子ども、つまり「Children Of the Street」を主な対象にしてきた。 イクバル(仮名、11歳、男)は、こうした子どもたちのうちの一人でドロップイン・センター(以下DIC)には2年住んでいる。
イクバルの独白
お父さんは田舎の畑でトラクターを運転する仕事をしていたけれど、病気で死んでから大変だった。
父方の親戚が母さんと僕を怒鳴ったり殴ったりの嫌がらせするようになった。
父さんの残してくれたわずかな土地は叔父さんに名義を変えられて騙し取られた。
ある日、その親戚の一人が知らないおじさんを連れてきて一緒にダッカに行くように言った。
船でダッカに着くとその知らないおじさんは「坊主、どこでも好きなところへ行っていいぞ」って言って、いなくなっちゃった。
それで僕は、着いたショドルガット(フェリー・ターミナル)からバスに乗ってジャットラバリ(DICの所在地)へ着いた。
すごくお腹がすいていたんだけど、誰にも何も言えなかった。
最後はお腹がすき過ぎてとうとう泣き出しちゃったけど、その時から路上で暮らすようになった。 |
安全な居場所、寝る場所
こうした単身で過ごしている子どもたちにとっては、まず安心で、安心して過ごせる場所がとても大切だ。
DICの24時間シェルターは、実はバングラデシュではそう多くない試みで、その分子どもたちの喜びは大きい。
子どもたちに好きなプログラムの順番を付けてもらった結果からも、特に単身の子どもたちの圧倒的な支持を得ていることがわかる。
路上では、色々な大人が嫌がらせをする。
警察官が逮捕するぞと脅し、僅かな金をせびる。
「夜勤の守衛に犯された」と話してくれたのは十歳の男の子だった。
「センターに来るまで、眠れたことがなかったんだ。怖くて安心できないよ」
「やっと男の人に襲われないって安心できたの」と語る。
ここでシャワーやトイレも安心して使えることも嬉しい。
清潔で栄養もある楽しい給食
給食プログラムでは、従来のキッチンスペースも残しながら、三食10タカ(約17円)程度での食事を提供している。
実は従来の子どもたちどうしで仲良く分け合う様子が印象深く、また容易なサービス提供の形が子どもの「依存心」を高めるのではと、導入を急ぐ向きにやや疑問を感じていたが、実際子どもたちの声を改めて聞くと、清潔な食事の必要性は想像以上に高かった。
小さな子どもは、当然「料理なんてできない」のであり、ここに来れば「色々な種類のきれいな野菜が食べられるの」だ。
だから「食べた分はちゃんと払うのは当たり前」と口を揃える。
路上の食事は安価でも手に入るが、例えばレストランの食べ残しを皿に盛り付けなおして売っている店などもあり、決して衛生的とは言えないものも多い。
また、従来のシステムでは「前はここに食材を持ってこなくちゃいけなかったから、何もないときには魚を盗んでいたの」だ。
「でもそれがやめられてすごく嬉しい」と小さな心をどれほどに痛めていたことか。
食べ物の分け方を巡っての「友達との喧嘩もいやだった」。
だから「みんなで並んで食べられることが家族みたいだから好き」というコメントは、子どもたちの心の成長に何が必要か改めて問われる思いだ。
何より子どもにとって、栄養のバランスのとれた食事に必要な知識や食材を調達するハードルの高さを今更思い知る。
こうした支援が実を結び、DICでは「Children Of the Street」の占める割合は徐々に増加している。
例えば出席率で言えば、2001年には11%程度であったのが2004年には53%になっている。
Ayumi (2019年12月21日リニューアル・アップ)
葉羽 前々回の最後で紹介した「あゆみさん帰国報告会」でもこうしたシャプラニールの活動が紹介されましたが、中には「そうした活動をしても全部の子どもを救う事はできないし、根本的な解決にならないのでは?」という厳しい質問がありました。
もちろん、抜本的な解決はバングラデシュの政府なり社会が自ら目覚めて取り組まなければなりません。 そして、民間のNGOが僅かな募金・支援金と自分たちの身を挺して行える活動にだって限界があります。
だけどね・・・それでも見捨てては置けないのです。 目の前で溺れている子どもがいたとしたら、誰でも損得や後先を考えずに手を差し伸べてしまうでしょう。 見捨てておくには忍びない・・・それこそ、僕たち日本人の古くからの美徳であった「忍びさるの心」だと、作家の童門冬二氏が言っています。
自分たちが身の丈でできるほんの僅かな善意・・・それでも、その小さな善意が彼らにとっていつか救いに繋がることを信じて行動する、それがボランティアなのでしょうね。 |