【2011/7/25】
昨日、アーネや仲間達に別れを告げ、ボーデからオスロへ飛んだ。
ボーデの空港で手に入れたノルウェイの新聞3紙は、どれもテロ事件の報道でいっぱいだった。
どれも読めないけれど、写真から内容が想像できた。
オスロ空港からホテルへ向かうために乗ったタクシーの運転手に、その後の情報を聞き出す。
犯人はノルウェイ人で、すでに逮捕され、交通も街も通常通りだという。それでも少し緊張は残る。
今日はひとりでオスロを見て回ることになるが、美術館が閉館の月曜日なので、ガイドブックから開いているところを選び出す。
ヴィーゲラン彫刻公園は、何人かが勧めてくれたポイントで、ホテルから1.5キロほど北西部へのんびり歩いて廻る。
ノルウェイを知る手がかりとしての、ヴァイキング船博物館とノルウェイ民俗博物館は、オスロ港に面した西部のビグドイ地区にあり、港からフェリーで向かう。
どれもが遠かったけれど、テロ事件の直後なので、中心街にいるよりも安心のような気がする。
ずっとインターネットができない状況だったので、夫の生活時間のタイミングを見計らった昼頃、ヴィーゲラン彫刻公園から国際電話をかけ、無事を知らせる。
|
ヴィーゲラン彫刻公園
(Wikipedliaより)
|
ここまでの行程でも盛りだくさんの充実した内容だったので、これで一日が終了していたなら上記の3つについて書いただろう。
ところが、まだ一日は終わらなかった。
夕刻、ビグドイ地区からバスで中心街に戻ると、遠くの方に人だかりが見えた。
気がつくと、周囲の人々も手に手に花を持ち、みんなそちらへ向かっている。
いったい何があるのだろう?
私も近づいて行くと、老若男女、幼い子も車いすの人も、すべてそこに集まる人々は1輪の花を手にし、意志を持ってそこに集っている。
ああ、これはテロの犠牲者に対する追悼なのだな…と気付いた。
あまりの人の多さに、どこが中心なのかもわからないが、オスロ市庁舎のあたりから聴こえてくるのだろうか、マイクを通した声にみんな耳を傾け、時々一斉に花を高く掲げると、目の前は花畑のようにとりどりの色に満ちあふれた。
日本とほぼ同じ国土面積に、人口485万人のノルウェイは、日本の約25分の1の人口だ。
首都だから人が多いとはいえ、人口と比較してこの集まった数はすごいものだ!
帰国後、日本の新聞記事から、このとき、オスロ市民60万人のうち15万人が参加していたことを知った。市民の4分の1が意思表示したことになる。
オスロばかりでなく、他の都市でも同時刻に行ったばかりか、他の北欧諸国スウェーデンやフィンランドでも黙祷したという。
東北での大災害のときに世界中から暖かい励ましのメッセージが届いたときのように、人が人を思う心に触れるときの感動。
ひとだかりで何も見えなくても、この雰囲気に目頭が熱くなる。
雰囲気で、集会が終わったのが感じられ、それなら爆破された政府庁舎を見に行こうと考えた。
人の考えは共通するもので、やはり人の流れがそちらへ向かっている。
繁華街の道には、ところどころにキャンドルや花を捧げる場所が自然発生的に作られていた。
爆破現場に近づくにつれて、壊れたショーウィンドウや窓ガラスを応急処置で板張りしたビルが増えてくる。
爆破の現場が確認できると、爆風で壊れたところが広範囲だったことがわかる。
場所に寄っては、なぜこんなところまで?と驚くぐらいに離れたところもある。
爆破現場周囲は立ち入り禁止のテープやネットやカバーで遮られているが、人々は、もっとも現場に近づけるところに献花をしたいらしく、カバーにも、たちまち花が増えていく。
そろそろホテルに帰ろうと、西へ向かい出したら、道路の中央に花が置かれて連なっている。
どこまで続いているのだろう?
花に導かれるように歩いてみた。花のラインは、王宮へ続いていた。
王宮前の広場にあったのは、花のラインで描かれた大きなハート!
花を高く掲げる、花で描く。
こんなふうに気持ちを表したノルウェイの人々の感性、いいなあ!
とても親しみを感じた。
<<2011.9.27 Release by Habane>> |