【2011/7/20】
自分の現場で制作をしていたら、参加者のひとり、ノルウェイ人ダンサーのエリザベスがやってきた。
作品の説明をしながら"HORER DU MEG?"の発音を教えてもらう。
"ホーレル ドゥ マイ?"という感じかな。
「これからTVカメラマンを連れてきてもいい?」と言うので、「OK、いつでもどうぞ。」
ところで、私の現場にたどり着くまでの道はすこぶる悪い。
道路に沿って盛り上がる岩盤の丘を登る。
岩盤の上には苔や草がはえ、その成長具合によって大きく盛り上がってでこぼこしている上に、山から流れてくる水は岩盤には浸透しないためか、低い湿地は歩くとじわじわと水が滲み出す。
踏み込んだ草地が、思いがけずにジャボッと沈む水たまりのこともあり、足をぬらさないために草の盛り上がりの上をを歩こうとすると、バランスを崩して低い湿地に落ちそうになる。
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丘の上から道路(家のあるあたり)を見下ろす |
同世代らしきカメラマンは大きなビデオカメラを抱え、難儀しながら登ってきた。
まず「私の英語はひどいのですよ」と言ってしまう。
「私もです」とカメラマンは言った。
しばらく作業の様子を録画した後、インタビューが始まる。
「この展覧会に参加しようと思った理由はなんですか?」「どんなことを表現するつもりですか?」「この自然から何かを感じとりましたか?」などなど…。
私がここに来ようと決めたのは、度重なる余震のさなかだ。
M.9.0の地震と津波は、人間にとっては暴力的、破壊的と感じた自然の脅威だったけれど、それは大きなサイクルで繰り返す地殻変動を主因とする自然現象に過ぎない。
人間の営みとはなんら関係なく廻っている。
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各作家の作品:Ida van der Lee [Sloe Art]
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そして、地震で破壊され、津波に押し流されていく人家や人々の映像は、人間が地球の表層にささやかに生きている生物であることを見せつけた。
それは、幼いころ私が注いだコップの水に崩れる蟻の巣や、流される蟻の姿と、なんら変わらないのだ。
たくさんの命を奪った自然のパワーが、眼に焼き付いている。
だからここノルウェイで、圧倒的なスケールの自然のなかに身を置くことを切望した。
この生態系に含まれるささやかな存在である自分を、ここで実感することが必要だった。
人間はこの世の頂点にいるのではない。
これまでの考え方を根底から見直す節目にいる。
この地球環境に対して、挑んだり組み伏せたりするのではなく、しなやかに添う関係がいいのではないだろうか。
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Itonje Soimer Guttormsen [Into the Woods] |
夕食は、近隣の市民を招きながら、魚料理。そのあと、イトンニャの映像作品を鑑賞。
荒削りながら、瑞々しい感性を感じる。
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