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by Maruyama Yoshiko / Site arranged by Habane |
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【2012/3/18】 Pina Bauschの身振り ピナ・バウシュの表現世界を表した2本の映像「夢の教室」と「踊り続けるいのち」を見た。
2009年にこの世を去り、もう彼女の新作に会う機会は断たれてしまったけれど、生前の幾度かの公演を見続けて、なにかが私の感覚や意識の深いところに届いた瞬間をこれからも忘れずにいたい。
1989年、2度目の来日公演「カーネーション」の紹介記事を新聞で見た時、私はこの人の名前すら知らなかったけれど、無性に惹かれるものを感じてチケットを予約したのが最初だった。 今回の映像「夢の教室」では、10代の素人の若者達がピナの作品を踊るまでの意識の変化にも踏み込んでいて興味深く、「踊り続けるいのち」では、ヴィム・ヴェンダースによる3D映像で、ピナ作品をダンサーのそばにいるごとく体験できた。 ピナ作品が強く惹きつけるのはなぜだろう…そんなことを考えながら。
“身体表現の新しいジャンルを生み出した”と言われるピナの公演は、いつも意外性にあふれていた! ダンサー達の外見は、身長も、年齢も、民族も、髪の長さや薄さも、衣装もさまざま。 美しく統率されただけの振り付けとはかけ離れていた。ピナの質問とダンサーの答えから生み出された表現。 ダンサーは単なる踊り手のひとりではなく、その人生や意思を持った個人として舞台に存在し、舞台でもそれを語る場面がよくある。 そのような個々が集まったダンスであるがゆえに、外見の多様さは必然であって、見る者は、まるで世界を俯瞰するような体験をし、自分のこともそこに投影してみることになるのだろう。
これまでに見た公演で、特に眼に焼き付いているのは、女性ダンサーが脚をがに股にふんばって立ち、頭を振って長い髪を回転させる姿。それも唐突に。 広い舞台空間のなかで、ひとり髪を振るその姿は、魂の叫びのようにも、つぶやきのようにも感じられ、胸に迫る。 美しく見られることを意識したポーズではなく、ありのままに生きている素の姿を感じさせるさまざまな身振りが、たとえ奇妙であっても、意味がわからなくても、コトリ…と小さな音をたてて記憶の中のなにかと符合し、私を揺さぶってくれる。
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