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by Maruyama Yoshiko / Site arranged by Habane |
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【2012/1/27】 文化活動を支える眼差し 1週間前の夕方、めずらしくファックス受信の音がした。 紙面を見ると信じがたい文面がそこにあった。 私の知人の中でも最もエネルギッシュな10人に入りそうな方、Nさんの訃報だった。 Nさんは、2003年から2006年にかけて私が実行委員会代表として企画運営したアートプロジェクト「Between ECO & EGO」を埼玉県川口市で開催したおり、最初から最後まで応援してくれた恩人である。 この美術展は、活動開始からの地道な広報活動が功を奏したのか、“川口で初めての大規模現代美術展”と期待され、2004年の開催は地元のさまざまな協力を受けて、充実した内容となった。
しかし、現代美術の展覧会が商店街に収益をもたらす効果は薄く、また、よそ者の持ち込み企画が地元に受け入れられるためには、もっともっと努力と工夫が必要だったのだろう。 2004年の開催の後、次の開催までの準備期間のうちに地元の関心は薄れてゆき、最終年の2006年展は、広範囲からの関心と観客を集められた成果はあったものの、その運営に関しては、地元の協力が乏しい茨の道だった。 運営する私たちの意欲も体力も限界がきて、ひとまず幕をおろした。 Nさんは、鋳物会社の代表取締役という立場だったので、このプロジェクトの運営に直接手を貸すことはなかったけれど、参加アーティストの作品を無償で鋳造してくれたり、同業者からの協賛金集めや宣伝を買って出て下さった。 「東京からわざわざ川口に来て開催してくれるのを、応援しないわけにはいかないじゃないの!」というNさんの言葉が本当にうれしかった。 火を見つめる業種のために眼をやられ、濃いサングラスを常用する外見は強面の印象があったが、実は気さくで好奇心旺盛。 応援した対象は私たちのプロジェクトに限らない。意外なかたちの鋳造のアイデアや工場内での映画作りなどなど、Nさんに相談を持ちかける若者のさまざまな活動を、おもしろがって応援する親父さんだった。 このアートプロジェクト以降も、Nさんの協力は続いた。 2008年には、川口で発表する板状の作品を立てるための鉄製の支持台の制作を引き受けて下さった。(※右の背景画像:「グレイの海」2008 西川口プロジェクト参加⇒)
制作費用を受け取って下さらないので、お礼に自作の絵を持参したときのことー「うれしいねえ!」とNさん。 「会社の収益が上がったときしかできないけれど、自分が応援したい活動に対して、これからも支援していこうと考えているんだよ」と話してくれたのだった。 Nさんの訃報を受け、もしかして、このとき語った意思は、死期を悟ってのことだったのだろうか…?とドキッとした。 なぜなら、まだまだ現役で事業拡大しそうなNさんが、文化活動支援も進めていく選択をするということに、ちょっと意外な気がしたからだ。 翌日、同様に応援していただいた夫と共に、Nさんの会社を訪ねた。 事務の方の話によると、Nさんは昨春に病が見つかり、手術後も入退院を繰り返したとのことだった。 ここ数年、訪ねる機会をつくらなかったことが悔やまれた。 昨秋11月、私たち夫婦が参加した野外展へのご案内状に対して、Nさんから手書きの手紙を添えたご祝儀が届いたのが最後となった。 「お久しぶりです。この程、野外アート展おめでとうございます。いつもお便りありがとうございます。そして、ほんの気持ちですが、ご笑納下さい。後々迄のご活躍、お祈り申し上げます。 N 」 今思えば、この手紙を書いて下さった時、Nさんは最後の闘病のただ中だったかもしれない。 文面の最後の言葉は、どんな思いで書いて下さったのだろう…と思うと、泣けてくる。 お祝いも、お手紙も、訃報のファックスとともに、すべて形見として持ち続けよう。 思い出しながら、Nさんの応援に報いることができるように、活動を続けたいと思う。
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