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by Maruyama Yoshiko / Site arranged by Habane |
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【2012/1/22】 人格を持つ家 母の傘寿を身内でお祝いするため、福島に帰省した翌日、宮城県に向かった。 これまで東北の被災地は何度か訪ねたが、まだ足を踏み入れていなかった石巻市から南三陸町までのエリアを訪ねてみた。 震災から10ヶ月。幹線道路から見る市街地は、瓦礫が撤去されたさら地が“新築予定地”のようにも見え、被災地という印象は薄くなっていた。
港湾部や地盤沈下した一帯では、土盛りをしたり、内陸寄りに暫定的な(だろうか?)道路作りなどに取りかかっているところもある。 そこが被災地と知らなければ、単に、大規模な宅地造成工事現場にように見えるだろう。 しかし、造成現場が広大であればあるほど、そこには、その規模の破壊された街があったということかもしれない。 遠目に見える瓦礫の分別作業は、作業車が材木1本1本をつまんでおこなっている。 瓦礫の全体量を思えば、まことに気の遠くなる地道な作業だ…。 それでも、少しずつ前へ進むことを祈りつつ、心のなかでつぶやく。 がんばろうね、がんばっぺ! そう、被災地という印象が薄くなるのはいいことだ。前に進んでいるのなら、ずっと忘れないのなら。
海岸沿いの通りに入ってみると、そこには、瓦礫の撤去も終えていない、破壊のまま10ヶ月が過ぎたような一帯が現れた。 津波の襲撃を受けて、どの家も海側の壁や扉が破壊され、引き裂かれたカーテンが海風に吹かれて終始はためいている。その動きのせいで、家は生き物のように見える。
まるで、内臓を見せながら立つ人体標本のように、屋内の生活空間を外にさらした家、家、家。 室内には安楽椅子があり、オルガンがあり、棚の中には物があり…。 津波の一瞬前までの暮らしがかき回された状態で、そこにある。 所有者は、名残惜しくても仮設住宅に引き取ることができず、あきらめるしかなかったのかもしれない。 それとも、もうこの世にいないということも…? ごく私的な室内が無防備にさらされている状況は、なんと痛々しいものだろう。 思わず手を合わせてしまう。
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