【2010/5/20(続き)】
20日のmaster-class終了後、アーティストSannaのコテッジに招かれることになった。
こちらの人々は、自宅以外に休日を過ごす家としてコテッジを持つのが一般的らしい。人口密度の低さがそれを可能にするのだろう。
(面積33万8145平方km、人口520万人:2008年時点。)
約37万8000平方kmの日本より少し狭い程度の国土に、日本の4%程度の人間しか住んでいないということになる。
Sannaのコテッジは、Ii川を西に河口まで出たボスニア湾の小さな島、トゥッキカリ島の海辺沿いにあり、教師だった父親が建てたものらしい。
幼い頃からこの家で過ごした思い出がいっぱい積み重なった佇まいをそのままに残している。電気、水道、ガスを使わない、完璧にエコロジーな住まいなのだ。
水は少し茶色い井戸水か海水、食品は冷蔵が不可能なので夏場は必要な分だけ購入、照明はランプとキャンドル、食器は紙皿、トイレは用を済ませたら腐葉土をかける。
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井戸とその向こうは海
(左奥の方に歩けばサウナ小屋がある。)
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夕食のために、パ-トナーのMattiが魚を釣ってきた。
つつましいシンプルな家だが、母屋、サウナ小屋、薪小屋、トイレ小屋があり、魚を焼くたき火のそばに座ってゆったり海を望めば、もう至福の眺めだ。
申し分なく整った私の滞在レジデンスと比較すればかなりのギャップなのだが、このコテッジ生活の不自由さを「それが何だというのだ」と思わせるほどに豊穣な自然環境と、それを静かに楽しむ暮らしがここにはある。
初めて経験したサウナの熱気をさます縁台から見える夕方の海は、とっておきの絵のようだった。
圧巻なのが、手を加えない森の持つ時間の深さ。
人の踏み跡を“道”と認識して一本道を歩けば、剪定をしない森なのに程よく木漏れ日が射し込んで暗くはない。
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木漏れ日が射し込む森 |
道から森に分け入ると、たちまちふかふかの腐葉土がマットレスのように沈む。太い倒木の上に黄緑色の苔が毛布を掛けたようにふんわりと包み広がっている。
光が当たるところには、落ちた種から育った若木が、次の森を作るために伸びている。
童話に出てくる森の主のような針葉樹の老木が、枝や葉を下へ長く垂らしている様は、「お邪魔させてください」とご挨拶したくなるような、神々しい存在感がある。
薄明るく、じめじめしていない雰囲気が、怖さを感じさせない。
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木漏れ日が射し込む森-2 |
その日が私たちの26回目の結婚記念日だと話したら、どういう話の流れだったか、国旗をあげよう、ということになった。
(国旗を上げる準備をするSannaとMetti、夫が近くに立つ。)
教会でも独唱することがあるというSannaがフィンランド国家を歌った。
歌のお返しすることになって、私たちも何十年ぶりに「君が代」を歌った。
この歌を歌うことに何のこだわりも抵抗も振り払って自然に歌わせる空気がそこにあって、他に人がいない島に声を響かせる気持ちよさを、互いの声を聴きながら味わっていた。
Sannaの父親もここに家族を連れてくるたびに記帳していたというノートが残っていた。几帳面なお父さんの文字。
ここへ来るゲストはみんな記帳していく。私たちも記帳する。お父さんの時間からつながっている気がした。
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