【2010/5/20(続き)】
ビエンナーレのプレイベント"master-class"では過去の作品だけでなく、ビエンナーレのために作ろうとしている作品プランも紹介した。
予定作品は「a leaf boat 葉の舟」。
フィンランドはスウェーデンとロシアの間にはさまれている地理的条件ため、12世紀からずっと、この東西二大勢力の衝突や駆け引きの場となり続け、双方の統治下に置かれる時代を経てきている。
1917年にようやく独立したものの、その後も苦難の歴史を歩んできた。
フィンランド人のルーツについて、冷涼な土地に定着したことをフィンランド人の間では「『ウラル語族』のなかで、うっかり定住するところを間違えた愚かな人々がわれわれフィンランド人だ(それに対し賢かったのはハンガリー人)。」と自嘲気味に語られるらしい。
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エドゥスクンタ:フィンランドの議会(Wikipediaより) |
先日、地元アーティストたちが、この国の暗くて寒い(マイナス30~40度)冬のつらさについて語った話は興味深い。
なにしろ1日のうち数時間しか明るくならないのだから。
長い長い冬の終盤の、だめ押しのような1月、2月ごろには、もう我慢の限界だあ!!というどうしようもない気分になるという。
今、陽の長い明るく美しい季節を謳歌している最中だからこそ、それを笑いながら語れるのだろう。
そんな、歴史にも環境にも辛抱してきたフィンランドの人々。
そして、火災をきっかけに3人のアーティストを中心に発起して設立を目指し、周囲の無理解に立ち向かいながらここまでに作り上げた、KultturiKauppila Art Centreが今に至るまでの努力のヒストリー。
これらの人々を、川面を流れる木の葉に象徴させようと思っている。
豊かな神秘的な森と鏡のような川や湖、氷河やオーロラのような希有な自然現象を持つ国のイメージとして、葉の上に乗った水がきらめきながら、フィンランドの人々の歴史を想像させる画像を見せつつ、作品をのぞきこんだ人の姿もそのなかに映し込む仕掛けを考えている。
午前の部を終えて、ランチタイムでは、同じテーブルで食事した参加者から、作品の意図がとてもよく伝わったこと、ビエンナーレの作品を楽しみにしていると口々に言われ、これまでの制作活動、そして今日の準備をした甲斐があったという充足感がじわじわと湧いてきた。
アーティスト冥利を感じるのは、作品が売れるよりも何よりも、作品にこめた自分の意図が伝わり、共感を得ることだと私は思う。
埼玉県川口市において2003~2006年に展開した[Between ECO & EGO エコとエゴのはざまで]の活動は、2004年の開催の折り、フジテレビの「テレビ美術館」という番組で紹介されている。
阿部千代アナウンサーが市内に点在する会場をたずね、各作家にインタビューしている。
今回はそのDVDも見せながら、プロジェクトとしてのテーマや、どんなふうに地元に活動を周知し理解を得たか、また、参加作家がどのようにテーマを自身の作品に反映させたかなどを紹介。
最後に、夫の常生が室内、屋外をつかってパフォーマンスをおこなった。
詳細はきっと本人のウェブサイトに紹介されるだろう。
翌日、地元新聞にかなり大きく紹介されてしまった。
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翌日の地元新聞 |
記事は私の講演内容やビエンナーレ出品作品のプランの紹介が中心だが、写真の選び方といったら…ジャーナリストとは“人目を引く”ことにかなりウェイトを置くものなんだなあ、と納得した。
パフォーマンスの時間まではいられないカメラマンが、事前に夫にパフォーマンスのポーズをいくつか頼んで、そのなかでもとびきり「何なんだこれは!」と思いそうな奇異なポーズを選んでしまうのだから。
私のポートレート(紙面の下の方)だって、かなり下からカメラを構えた。
翌日、いつも行っているスーパーやホームセンターでの人の視線が笑っている。
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