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その81

「さらば涙と言おう」でケンサクです。

 この秋、地元の公民館と福祉施設でアート活動をした。

 素性は明かさずに「上野公園の自称芸術家」と紹介されたが一部の人には「あっ、先生」と簡単に見破られてしまった。

 頭の髪は薄くなリ老け顔になっても顔の面影は残る。つーか、その公民館はかつて私が勤務した学校の学区内だった。

 それにつまらないダジャレを語りながら「芸術」するので声や口調でバレてしまう。

 サングラスにマスクして黙って活動すればいいのだが、ますます怪しいか。

 個人的に勝手に尊敬する師匠が英国の謎の路上アーティスト、バンクシ―なので師匠にならって自分から身分を明かしてはならない。

 自分の姿が他人にどう映り、どう思われるかだが、最近はインスタグラムなどのSNSを通じて評判がわかる。

 取り上げられ方が、おおむね好評なので、調子にのって大人の休日で時々上京する。

 あと2年で大人の休日の割引運賃が5パーセントから3割引きになるが、それまで気力、体力がもつだろうかと心配だ。

 最近は駅の階段の登り降りがしんどく「♪大人の階段、上る」だが、大人も後期になると「大人の階段」を下っているのか、などとクダラナイ事を書いている私だ。

「♪大人の階段下る、やがて、みんな死ンデレラさ」なんてブラック過ぎる冗談は縁起でもない。

 誤って階段を踏み外すと怖い目に合うが会うが、四ツ谷駅の階段を四谷怪談とは言わない。

 過日、上野で水撒きして休んでいたら、姉妹らしい幼い女の子が来て、水絵を描いて欲しいと頼まれた。

 活動直後で気力も体力もない。小さな紙にいろいろ描いてやったが、なかなか立ち去らない。

 普段、路上で強制終了する時は、2つのパターンがある。

 カエルを描いて「これ、カエル。みなさんも帰る」やサイを描いて「これはサイで、最後でサイナラ」だが、それが使えない。

 二人の似顔絵も描いたが、いつもの即興逆さ描きで本人に似ていない。

「この顔の絵、目が二つ、鼻と口がひとつで、本人そっくり」と言い訳して手渡した。

 姉妹はしばらく私の顔をみつめていたが、私の目や鼻口の数を確かめていたのか。

 ありがとうと言って去っていったが、人は「言い訳」をしながら大人になっていく。

「♪涙の数だけ強くなれるよ」だが、人生は言い訳の数だけ強くなれるのか。

 むしろ言い訳の数だけ自分が弱くなるのか。

 言い訳上手は世渡り上手、うぬぼれすぎてはいけないが、人生にとって自己正当化は自己肯定化で大事なことだ。

 ブログのつぶやきは一つの自己申告だが自己深刻になりすぎてはいけない。

 安易にスマホに深刻な事を申告すると、スマホの奥の危険な罠が待ち受け画面で待っていて、思わぬ事故に巻き込まれ事故深刻だ。

 気が沈み落ち込んだ時は、スマホを置き、家を出て砂浜をダッシュだ。そして夕日に向かって「バカヤロー」と叫ぶ。

 森田健作で検索だが砂浜ダッシュは千葉県の海の砂浜がイイネとネットで勧められるのか。

 青春は苦渋久里浜だが「♪さらば涙と言おう」で「♪涙君さよなら」だが吉川君は早瀬久美だ。

 チバ二アンは千葉のマスコットキャラでなく古代地層だが、平成の地層からはスマホが出土するのか。

 スマホ塚はレアメタルの宝塚になるが、昭和の地層から何が出土するのだろう。

 古代の話は誇大妄想だが、古代妄想力は古代想像力につながる。

 カンブリア紀は遥か古代の地層だが、寒ブリは旬のゴチソウだ。

「♪お久しブリね、」などと鼻歌を歌いながら寒ブリを肴に酒を飲むのは幸せだが、隣国のお久しぶりのミサイル実験で酔いがさめてしまう。

 (2017.12.5)アンブレラあつし

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