私の投稿は文章のみで写真はサイト管理者にお任せだが前回の写真、昭和の風景は文章内容にドンピシャでキャッチコピー「ヤングの間でも大人気」が昭和過ぎてウケル。
岸波通信の格調高い品格には馴染まない写真と感じる方がおられたら
、責任の全ては私の文章の低俗な内容にあるのでご容赦いただきたい。
かつて若者のことを「ヤング」といった時代があった。あの時のヤングは今はシニアになっているのか。
NHKに「ラジオ深夜便」という高齢者向けの番組があるが「ラジオシニア便」だ。
聞きもしないで長い間、高齢者向けの番組と思っていたが番組の中で流れる曲が、たびたび私がヤングの頃の曲で驚いた。
ヤングだと思っていたが、いつのまにか高齢者の仲間入りしていたのか。
深夜徘徊という言葉があるが松尾芭蕉はシニア俳諧で、奥の細道は俳句しながらハイキングか。
私は水撒きしながら公園徘徊しているが、上野公園では老若男女がスマホを持ちながらゲーム徘徊している。
確かに「人生は終わりのないゲーム」だが「人はスマホを持ったサル」か。
スマホが進化して人工知能を持てばスマホに指示命令されて行動するようになり、人はスマホのポチ(犬)になる。
スマホ中は「まわりを見ザル、音も聞かザル」で危険だが、本人達は夢中なので何も言えザルだ。
犬とサルは犬猿の仲だが禁煙ルームでは「禁煙の仲」になるのか。
犬にも嫌煙権と嫌猿権があり多くは嫌猿犬だ。
犬と猿は桃太郎にキビ団子ひとつで鬼退治に誘惑されるが、大義だけでは人も行動しないので危険手当や出張手当がある。
金太郎は熊にまたがり、お馬の稽古だが肥満ぎみの金太郎に乗られたら熊もクマッタものではない。
マサカリ担いでだがマサカリ正雄というは俳優はいないし知らない人がマサカリ担いで歩いていたら正直物騒で近づきたくない。
金太郎の弟が金次郎というのは余りに単純な発想だが、二宮金次郎は元祖「ナガラ族」か。
歩きながらシバを背負いながら本を読んでいる。今風の金次郎ならば本に代わりスマホを持っているのか。
「努力勤勉」の代名詞が二宮金次郎で、その象徴として銅像が戦前は各小学校に設置されていたが、軍国主義教育の戦犯とされ戦後一斉に撤去された。
難を逃れて校庭の片隅の木陰の中の目立たない所に移動した像もあるが、まるで隠れキリシタンのようだ。
金次郎が禁次郎になってしまった。「上を向いて歩こう」の歌がはやっても、ずっと下を向いているが戦後日本人の身勝手さを嘆いているに違いない。
状況が悪くなると手のひらをかえすように責任を一部に押し付け、自分はあたかも無関係のようにふるまう人々は昔からいて尊徳でなく損得で行動している。
話は戻るが桃太郎に鬼退治の御伴になぜ犬と猿、雉を選んだか突撃インタビューしてみた。
「犬は人に忠実で、猿は賢い。キジは・・・、キジは新聞キジにもト
リあげられ話題性がある」との返答。
桃太郎は某大手通信会社にも露出し受け答えにソツがなくユーモアがある。
鬼退治のようすもドローンで空撮し、SNSで配信するらしい。鬼退治の英雄のスポンサーはもちろんエイユーか。
最近のメディアは各分野がコラボして視聴者を取り込み囲い込んでいく。一見主体的に個人的に人生を選択しているようだが、実はライフスタイル全体がいつのまにかコントロールされている。
ネットは文字通り情報を餌にした網かけだ。
あみかけのセーターだが「♪着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」ってアンデス地方の歌ではない。
こんな文章でエーンカとも思うが思いつきで書いているので思いがつきるまで書き続ける。
毛糸の手編みだが学生時代に、彼女に編んでもらったとかいって、自慢気に首にマフラーを巻いている輩を見ると嫉妬した。
(え!? まさか…)
わざと長く垂らして目立つように得意げに巻いているが、もう少し長ければ踏んでやりたいところだ。
(す…すみません!)
そもそも女子が男子のために寒さこらえて編むなんて封建的奴隷的ではないか。
演歌はしばしば前近代的で男尊女卑だが「♪私は、待つ身の女でいいの」なんて目がテレサテンになるような事を言っちゃってイイノ。
婦人団体から抗議はないのか。でも一度は言われてみたいな。
長々と情けないモテない男の昭和の情話だが「♪私のじょうわ町」やヤクルトじょーわの小柳ルミ子も「♪お久しぶりね」で最近見ない。
(2016.10.19)アンブレラあつし |