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その297

お宝も 時が過ぎれば お荷物に

 空家になっている実家の片付けが、なかなか進まない。

 ツーカ、片付けに行っても古いアルバムを見たり、残された書籍等ななめ読みしていると時間が過ぎて片付けは、また次回と先送りしてしまう。

「次回、次回」と先送りしてしまう私の悪いクセは、「自戒」しなければならない。

 先送りする先の先に待っているのは、私の「野辺送り」になるのか。

 不動産会社に売却を依頼しているので、売却がきまれば最後は全てゴミとして処分しなければならないが、お金を出して業者に頼めば全て処分してくれる。

 実家には父が買った絵画や掛け軸などの書画もあり、価値のあるものとは思えないが何となく捨てがたい。

 米沢の妻の実家は5年前に取り壊した。実家は下級武士だが米沢藩士で、家にはイロイロとお宝が残されていて、一部捨てがたいものは、米沢に貸倉庫を借りて保管していた。

 その契約も2年前に切れたので、さらに処分したのだが、福島の実家が空家になったので一部を福島の実家に運んだ。

 箱に入れられた大量の掛け軸があったのだが、どうみても一度も開けてないものもあり、一度は開けないと申し訳ない。

 今住んで居る狭いマンションには床の間はないので、室内に洗濯棒をはり、4、5点まとめて吊して週ごとに吊るし替えて、一応、全部みた。

 マンションに「床の間」はないので、臨時の「床の間」にしたが、「つかの間」の「とこの間」だったな。

 書画、骨董の類いは、今、はやりの買い取りショップに行って買い取ってもらう方法もあるが、余りに安く見積もられるとショックだと思い、躊躇している。

 でも最後は、ご先祖様に申し訳ないが、処分だ。子どもや孫に「お荷物」を残せない。

 自分が元気なうちに、きちんとかたづけないと、子どもに「かたづけなくて、かたじけない」と謝るようになる。

「掛け軸」だが、額付の絵画と違って、軸に丸めるとコンパクトにまとまる。先人の知恵はスゴイな。

 昔、美術の教員をしてた頃、ある保護者の家に招待され「掛け軸」鑑賞をしたことがある。

 その地方では多くの山林を所有する名家でお金持ちの家だった。

 床の間のある大きな座敷に案内され、お膳のごちそうを肴に酒を呑みながら、掛け軸の書画を鑑賞する。

 専用の掛け棒で、掛け軸を替えながら書画をみる。「画」は見れば一応わかるのだが、「書」は読めないとツライ。

 とりあえず、わかったよう顔をして「なかなかな作品ですね」と誉める。

 招待した方は、もともと所有物を自慢したいのだから、誉めるのが一番だ。

 お膳の皿や、漆の器なども誉めたら、嬉しかったのか奥から、○○焼きの皿とか、○○の漆塗りとか、次々と出してきた。

 このさいと思い誉めまくったが、さすがに疲れた。

 さいごに家を出るとき、奥さんに主人の話しに長い間付き合ってくれて、大変でしたと感謝された。

 主人にとって「お宝」でも奥さんにとっては「お荷物」なのだな。私も家族の「お荷物」にならぬよう要注意だ。

「掛け軸の 書の字読めずも わかるふり
 わかるふりする 人生演技」

「お宝も 時が過ぎれば お荷物に」

 (2026.5.23)アンブレラあつし

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