去る11月30日(土)に合同同級会、古希の集いを行ったが、5年前の合同同級会(風に吹かれて122、123号に様子が書かれてます)の参加者53名より17名ふえて70名になっている。
みんなに再会するのは、これが最後のチャンスと思って参加した人もいたのか。
この歳になると来たくても、健康上の理由で来れない人もいる。また家族(親や配偶者、子ども)の健康上の理由で家を空けられない人もいる。さらに休めない仕事で来れない人もいる。
参加できる方は、参加できる条件が整った幸せな人だが、幸せな人をオメデタイ人なんて言い換えてはいけない。
それにしても古希(70歳)の集いに70名の参加なんてオシャレ。前回よりセブンティーン(17)増えてセブンティ(70)はダジャレ。
還暦のお祝いは「赤」だが、古希は「紫」らしい。65歳の時は「赤紫」のシャッツでも着ればよかったのか。赤紫はマゼンタ色ともいうが、赤と紫をマゼンタ色だな。
古希のお祝いだが、同級生の中にはまだ70歳になっていない方もいる。なんと同じクラスで2組のY君は当日30日が誕生日だった。
会場入り口に「本日の行事」という形で会議や宴会の名称が表示されるのだが、あえて「古希の集い」という表示はしてもらわなかった。
他の会の参加者に「あの人ら、70歳なのにずいぶん若づくりしてんない。あういうの、ワガイフリして、チョーシこいでるって言うんだぞい」と言われるのもクヤシイ。
当日は会議や宴会で、かなりの利用者がいた。
会場担当者との事前打合せの中での話しだが、福島駅東口のタツミヤビルのホテル(還暦の集い2014年実施)もビルの取り壊しで無くなり、旧サンルートプラザ、福島テルサ(プレ還暦2012年実施)、ラコパふくしま(アト還暦2019年実施)などの施設も今は宴会等の営業はしてないという。
そんな状況で今回の会場、グリーンパレスに会議、宴会が集中しているらしい。
早く福島東口の再開発を「再会」してほしい。このままでは県庁所在地「最下位」になってしまう。
35年前35歳の時の合同同級会(中学卒業30周年1990年実施)の会場、杉妻(スギツマ)会館は今も宴会等やっている。
私はウン年前、結婚式を杉妻会館でやり、今の妻と結婚した。
あれから時間もスギ妻だが、私にはスギタ妻です。ダジャレ至上主義で私情を紙上にあげてすみません。
当初、この会には私のクラス2組のK君も神戸から参加予定だったが、間近になって急用が入り来れなくなった。
彼は、何故か沖縄民謡にはまり三線の演奏もする。彼の三線民謡を聞くために二次会はカラオケルームを予約し期待したのだが「空振りサンシン」なったな。
ここでカミングアウトだが、前記したY君、神戸のK君、岸波通信「ツーさんの雑感」のT君、地元のA帽子店のA君、中学卒業後山形の高校に進学したS君は、同じ3年2組で、この5人はナント東大に現役合格した。
クラス同級生として東大5人はドーダイと自慢できる。
なんてクラスの自慢だが、うちのクラスは物故者が既に8名で、これは自慢にならない。
「2組はなんで物故者が多いんだい」と聞かれても返答に困る。
東大5人はたまたま頭のいい人が集まった結果だが、物故者が多いのは、たまたま寿命の短い人が集まったのか。
なんて「ふてほど」(不適切にも、ほどがある)な表現でレッドカード。
学歴だが、学年全体では東大が他に2名(1名は医学部)いて、東北大はじめ国立一期校、国公立の医学部、有名私立の方も多くスゴイ学年だ。
ちなみに私は、国立二期校(当時、一期校を落ちた人が受ける大学)の学芸大だが、東横線にあるのは駅名で大学はそこにありませんから。
K君の沖縄三線民謡が聴けなかった二次会だが、それなりに盛り上がった。
歌の下手な私だが、吉田拓郎の「♪私は今日まで生きてみました」の一節を「♪私は古希まで生きてみました」に替えて歌った。
「古希まで生きる」ってエライ。「還暦」プラス10年なんて、それだけで表彰状だ。
私は2組の三次会は行かなかったが、その後の三次会には男子5名、女子2名がスナックで12時半頃まで飲んで歌っていたらしい。
古希過ぎたジーサン、バーサンが困ったもんだが、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
そして互いに「楽しかったね、またね」と言って別れの時がくる。そして、その別れが最後になる事は今までもあった。
これも「ふてほど」で、レッドカード2枚目。私は三枚目。
「♪私は古希まで生きてみました。♪そして今、私は思っています。これからもこうして生きて行くだろうと」と、下手な替歌を歌った私だが、「へたほど」(下手にもほどがある)なんていう流行語はないか。
「風に吹かれても」も見直すと「ふてほど」が、かなりあるが、ダジャレやギャグを「ほどほど」にできないボクです。
(2024.12.7)アンブレラあつし |