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その256

スーパー、チャー爺ちゃん

 週二回のペースでスーパーで買い物をしている。

 妻に書いてもらったメモを見ながら、同じ店で同じ順番で売り場を回りながら、買い物カートに品物を入れていく。

 品物を探すのが面倒なので、同じ店で同じ売り場を回るのが一番いい。

 店が変ると、品物を探すのが大変だ。売り場には売り場案内表示もあるのだがイマイチわかりにくい。

 店員さんに聞けばいいのだが、忙しそうに働いている姿をみると、遠慮してしまう。

 いつもの売り場が変っていたりするとアセル。同じ場所に同じ品物があるのが大事で、品物を探したり店員さんに聞いたりするのは高齢者にとって億劫だ。

 若い店員さんに早口で説明されて理解できない事もあるのだが何度も聞けないので、わかったフリして自分で探すしかない事もある。

 以前、ココアを探して「ココア、どこですか」と店員さんに聞いたら、「ここは、泉店です」と返答され、返す言葉がなかった。

 頭がボケた徘徊老人と思われたのかもしれない。

「♪ココワ、福島、見せたいものは」は舟木一夫が歌う「♪わらじ音頭」だが、福島の名産品はモモでココアではありませんから。

 会計は店員さんのいるレジに並ぶ。セルフレジは面倒だ。

 人のいるレジは持ち込みの買い物カゴに、じょうずに並べてバランスよく入れてくれるので運びやすい。

 セルフで自分でやるとガチャガチャ入れてしまって運びにくいし、物によっては潰れる。

 レジだが、前に並んだバーサンが支払いでグズグズしているとイライラする。

 現金でお釣り無く支払おうとして、いつまでも財布の中の小銭を探し、あげくの果てに小銭を床にバラマキ、店員さんが拾うようになる。

 ジーサンがカードで支払うのだが、財布の中のカードが多すぎて本人も選べない。財布を開いて店員さんに選んでもらう。

 プリペイドカードなので、残額が少ないと入金なのだが、いくら入金するのか、いつまでも迷っている。

 後ろでイライラしながら待っている私だが、寛容な心を失っては「イカンよー」だな。

 高齢者は回りの人に助けてもらうのが、恒例になるのでコーレー者というのか。

 明日は我が身だ。ツーカ、すでにコーレー爺さんの仲間入りしているかもしれない。

 スーパーには「見切り品」とか「訳あり」と言って、安く売られている品物がある。

 以前、小さめの梨が5、6個ビニール袋に袋詰めしてあって「訳ありナシ」と表示してあったが、「訳なしナシ」という梨は売っていなかった。

「訳ありナシ」は安いので「なけなしの金」でも買えるのか。

「見切り品」は、ある時間になるとラベルが貼られ「見切り品」に変身するのだが、なかなか店員さんが現れないことがある。

 その場で待つのもカッコ悪いので、やや離れた場所から状況を観察し、ラベルが貼られたら自然に通りすがり何気なく、さっとゲットする。

 ゲットしたのはいいが割引率が少ないと、ザンネンな気持ちになる事もある。

 品物によっては2回目の「見切りラベル」が貼られるが、いつまでも待つこともできないので、見切り発車してスーパーを去るしかない。

 地元のスーパーは「ナナコ」のカードを利用するのだが、毎回いくら残金があるのか覚えていないので、そのつどチャージする「チャー爺ちゃん」のボクです。

 追伸、「風に吹かれて150号」の写真は、テレビ番組「西遊記」だが、夏目雅子、岸辺シロー、そして西田敏行と西方浄土に旅立った。残ったマチャアキは長生きしてほしい。

 写真の四人の笑顔は「♪あの時、君は若かった」で泣ける。

「♪それでも君が望むなら」なんて、命以外に望むものなんてない。

 (2024.10.26)アンブレラあつし

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