その25 |
水をばらまき、はや3年。言葉をばらまき、はや1年。 |
ブログ投稿始めて一年になる。
当初は水撒き芸術活動が中心だったが、しだいに自虐的おやジギャグと昭和昔話に話題が脱線する。JR北海道以上だ。
雨上がりの夜空にワル乗りするのは忌まわしい事だ。
一部にウケテいるという思いあがりが内容をワルノリさせている。
思いあがりの芸術活動でブレイクしたら今までのブログの内容をどう整理したらいいかなどと余計な心配もしている。場合によっては削除だ。
大芸術家は軽薄であってはならないが手おくれか。
すべてサイト管理者のでっちあげ文でMr.Habaneの創作であり自分は利用されたと人のせいにしよう。
外国人記者クラブの釈明会見では書面を読み上げて質問は受けないようにする。でも美人記者の質問には臨機応変に対応する。
妄想が暴走してきた。
思いあがりの夜空に発車できた。
バッテリーは風まかせの風力発電だ。エコにこだわる事をエコひいきと言うのか。
福島県民は何かと同情されるが自ら自分たちが特別不幸だとエコひいきしているようにも思う。
特別扱いは差別だ。風評被害といいながら風評をばらまいている人もいる。
私は水をばらまいているが人さまに迷惑はかけない。水もかけない。
雨上がりの夜空に発車オーライ。
蓬莱始発のバスは発車ホーライ。
最終的に蓬莱に住む事を結果ホーライとは言わない。
子どもの頃から文章を書くのは得意ではなかった。作文や読書感想文でほめられた事は一度もない。
子どもながらに読書感想文という宿題があるのか不満だった。なぜ読んだ本の感想なるものをまとめるのかその意義がわからない。
どんな事を感じたかは私の勝手で他人に知らせたくもない。課題図書だからといって感動する訳ではない。
しかたないので、あらすじを書いて最後に「面白かった」を付け加える。
先生の指導は「これはあらすじで感想文ではありません」といつも同じだった。先生にとって私の感想文は無味乾燥文だったのか。
いつも同じ人が賞を取り文集に掲載される。えこひいきだと思ったが私の単なるひがみか。
課題図書で賞をとった子は過大評価され自信過剰になるが最近は地震過剰だ。日本は地震列島だが人生は自信劣等か。
自信と劣等のはざ間で揺れる。震度が大きいと生きるのもシンドいが適切な評価は大事だ。自信と意欲につながる。
私の水撒き活動の妄想と暴走の原点は出会いだ。水撒きを面白がってくれるので私も調子にのる。
全く無視され続けていれば継続はカなり難しい。
(力を「ちから」とも「か」とも読んでね)
出会いは縁だ。縁があって出会い別れ、また縁があって再会する。
縁がなければ意志があっても再会はできない。
意志の上にも残念だ。やむを縁。
上野で昨年の11月頃まで会っていた88歳になるおばあちゃん(日本の初代婦人警官)には、もう半年以上会っていない。
高齢で外出もできなくなったのか。
上野で私に差し入れするものが無いときはお金をくれた。
お金は強く断ったが五百円玉を私のポケットに無理に押し込んでくる。あまり強く断ると争っているようにも見えるので抵抗できなかった。
人生は無常だが無情は情け無い。
いつかは会えるような気がして上野に行くが、もうこの世では会えないのか。
すべて出会いは「一期一会」だと自分に言い聞かすが「いちごって野菜だっけ」「いいえ米どころ酒どころ新潟です」。
上野公園での新潟物産フェアで試飲の酒を飲みすぎた。
無料だからといって地酒の試飲に群がるのはメタセコイヤ。
やはり昼酒はよくない。年寄りの冷酒か。
みちのく一人旅で帰途につく。疲れているが憑かれてもいる。
きっと何かに憑かれいるが除霊はしない。除染もしない。
じょせん無理なことだ。風まかせだ。
風にふかれて風化する。
風化は浄化で自然に滅びいく姿はむしろ美しい。
(2015.6.6)アンブレラあつし |