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その24

種まく人、水まく人

 前号でサイト管理者がアレンジしてくれたレモンスカッシュのビジュアルが爽やか過ぎて哀しい。

 青春の青色にはレモンの黄色が哀しいほど似合いすぎる。

 レモン哀歌は檸檬愛歌、高村光太郎だが僕の前にも僕の後にも道はない。僕の後に残る水の跡もやがて消える。

 東京にスカイツリーはあるが本当の空はあるのか。あどけない話はどこの誰の話なのか?

 答えが、あだったら賞品は岳温泉一泊旅行。

 温泉ダケだが、どんダケ楽しめるのか。

 福島はやっぱ温泉ですテネーション。

 岳だけではない。飯坂、土湯、高湯と沢山あるんですテネーション。

 智恵子さんは「安達太良山の上の青い空が本当の空だ」と言ったが空には本当も嘘もない。

 空は一つで同じ空で世界がつながっている。晴れの日も雨の日も雪の
日も空は空だ。

 青空は雲がないだけ。雨空は雨雲が、雲空は雪雲があるだけだ。バラ色の雲と思い出をのせて僕は行きたい。

 あの光るのが阿武隈川。ここが貴女のふるさとですテネーション。

 パクリの意味不明の言葉のラレツだがサスケネーション。

 頭の中はコンフュージョン。

 人生ある意味レクレーション。

 バラ色のめがねをかければ人生はバラ色に見えると卒業アルバムに寄せ書きを書いた中学時代の友人がいたが今思うとかなり早熟だ。

 まわりがバラ色に見えれば人生は幸せだ。

 太陽を直視すれば目が光でやられる。現実を直視しつづければ心がやられるかもしれない。

 確かシェークスピアの作品に「盲目になって見えてきたものがある」という一節があった。

 さもありなんと思い、ためしに目をつぶってみたが何も見えてこなかった。私は凡人で平凡だ。パンチがない。平凡ピンチだ。

 しかし聞こえてくるものがあった。近くの小学校の鼓笛演奏だ。遠くで鼓笛を聞きながら族になっている。

 威風堂々の曲だが威風堂々と行進もしているのか。

 以前学校勤務をしていた時に鼓笛行進を「チンドン屋」と言って同僚にひんしゅくをかった。

 職員会議のあと「会議とスカートは短いほうがいい」とつぶやいたら問題発言だと校長よりご指導を受けた。

 やはり限界だった。これ以上職場にいると迷惑をかけると思いながらも長く教育界しがみついてしまった。

 早期退職は正解だったが同級生のほとんどが今でも仕事をしている。

 再雇用、定年延長ということが定着してきて定年退職者でも引け目を感じる。

 早期退職者はなおサラダバー。学校を早帰りした気分だ。まだみんな放課後活動をしている。

 小学校の頃、朝から仮病で学校をずる休みした事があった。良心が咎めたが嘘をついたので両親には咎められなかった。

 しかし昼間は遊び相手がいないし放課後だって学校帰りのみんなとは遊べずに後悔した。

 情報公開してざんげする事を情報後悔というのか。

 今まわりの友人に対して、これに似た感情がある。

 友人に対してうしろめたいは気持ちがあるのは早期退職は仮病だったからか。

 誰も遊んでくれないので上野で一人水遊びをしているしかない。

 水撒き活動は前傾姿勢が多く最近は腰がすぐに痛くなる。

 腰痛にようつういだが言葉も体もなまっている。

 腰には牛乳がいい。こーしー牛乳。頭もなまっている。

 水撒きは以前より無理をしないで、時々休みながらやっている。

 バカは休み休みだが動物園のカバも休み休みしている。

 動物園の動物だって「仕事」していると妻に皮肉を言われるが聞き流しソーメンだ。

 平凡な大芸術家は簡単にはブレークしない。

 ミレーは「種まく人」を描いた。ゴッホも「種まく人」を描いた。

 私は「水まく人」だと自画自賛しているが字の拙い事を「じがずさん」というのか。

 「自我ずさん」で自虐的に展開し意味もなく終わるいつもの文章になってきた。

 平成の平は平凡の平で平和の平だ。いさましい時代はあさましい結果になるが平凡に耐えることが実は難しい。

 平和に耐えることが時々できなくなり冒険したくなるのが人のサガだ。私のサガは何をサガしているのか。

 種もまかないのに水をまいている。

 (2015.5.16)アンブレラあつし

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