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その22

桜咲 桜散 桜舞 桜落

 桜さくら
 サクラさくら
 sakuraさくら
 櫻さくら
 さくらさくら

 上野はさくらで錯乱状態だった。

 錯乱状態はハナだけではない。ヒトも錯乱状態だ。

 さくら・さくらで「さくらの二乗」だが桜にも事情があるのか。

 事情があるにしてもハナせない事なのか。

 黙って見ている青い空。さくらは何にも言わないけれどさくらの気持ちが分らないのはフーテンの寅さんだ。

 寅さんも花粉症でタイガーマスク。

 花の季節は鼻の季節。

 耳鼻科の先生はハナ見で年中忙しい。

 鼻つまりの季節につまらない文章を書いている。

 上野で水撒きを始めたのは3年近く前になる。桜の花が散り始める頃に、ある出会いがあった。

 あの頃はやや控えめで水撒きは公園の片隅でやっていた。

 興味を示した若い女性と暫し立ち話をしたが、翌週もまた同じ場所で出会いまた立ち話をした。

 世間話も尽きたが、なかなか去ろうとしない。こうなってくると話を面白くしようと妙なサービス精神が出てくる。

 「実は自分は路上芸術家で桜の散る頃、地面に水を撒いて絵を描き、そこに散った桜の花弁が着いて形をつくり絵になっていくというアートを実験しています。もし今後上野公園で桜の花弁が路上に不自然な形をつくっていたら、それは偶然ではなく私の芸術行為です」などと口から出まかせを語った。

 もっともらしく語る自分にわれながら感心するが、むこうは真顔で聞いている。

 あまりに真剣になられとまずい。良心がとがめる。彼女の両親にもとがめられるだろう。ここは強制終了だ。

 上野には変な人も多いから気をつけることをアドバイスして、地面に「うさぎ」を描き、うサギに注意と親父ギャグを言って立ち去る。

 遠くから振り返ると路上の水撒き絵の写真を撮っていた。

 口から出まかせアドリブで語った芸術論だが全部が嘘ではないと自分に言い聞かせた。それ以来、彼女に会うことはない。

 桜の散る頃の思い出だが、過日その路上アートが実現した。

 風がつよく水撒きはやりにくかったが、花吹雪になって散る桜が路上の水絵の線に貼り付いた。

 ほんの僅かな時間だが「芸術」の瞬間だ。近くにいた中国人がしきりに写真を撮っていた。

 この時ばかりはカメラを持参してない事を後悔した。携帯は持っているが私は携帯で撮影した経験がない。

 超アナログ人間だ。というより、あえて自分では写真に記録しないという哲学がある。

 しかし崇高な思想は時々人を不幸にする。人生はミー・ハーでいい。私と彼女で十分幸せだ。

 地面に水で絵を描き、風に舞散る花弁を地面にあつめてもうひと花咲かせる。

 桜咲き桜散る
 桜舞い桜落つ
 そしてまた
 サクラさく

 私の人生、花が咲いたことがあったろうか。これから咲くにしても、遅咲きではない。狂い咲きだ。頭がさく乱だ。

 桜が散れば若葉の季節、あまちマリだが今はあやまちマリになっている。

 時間は残酷だ。すべてが時間ですよーだが昔の「あなたーを待つの」は私だけではない。

 アみんなでいつまでも待つわだが、夢をあきらめないでだ。夢をあきらめないで努力して待ち続ければ、やがて風が吹く。

 風が吹けば身をまかせ風になればいい。千の風になるまでには、あと何度、風に吹かれればいいのか。

 昨夜、千の風になった友人の夢をみた。桜の季節に会う約束を実現しなかった私を許してほしい。

(前号の終わりはあまりに低俗だったが、今回はかっこいい)

 (2015.4.8)アンブレラあつし

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