|<<INDEX | <PREV  NEXT>|
 
 

その209

なんとなく、ハッピィーニューイヤー

 ハッピィー、ニュー、ラビット、イヤー。

 来年はうさぎ年、ラビットイヤーでウサギの耳だが、何故にウサギの耳は長いのか。

 キリンの首や象の鼻も長いが、「進化」のせいなのか。キリンは長い間、首を長くして誰かを待っていたに違いない。

 象は長い鼻を鼻にかけて自慢しているが、正直じゃまになることはないのか。

「♪そーよ、母さんも長いのよ」と我慢するしかない。子どもは親を選べないのだ。

「進化」だが私は日々、老化し劣化しており、中学時代から少しも進化はせずダラダラと生きている。

「脱兎のごとく走る」ウサギだが、高齢者がマネをすると転ぶので要注意だ。転び方がマズイと大怪我になる。

 高齢で骨が弱くなっているし、中年太りで体重が増えているので、転倒したときのダメージが大きい。

 若ければ転倒した時に自然と「受け身」の対応ができるのだが、高齢者はマトモに倒れ、頭を強く打ってしまうリスクがある。

 高校時代に体育で柔道を選択し、「受け身」の練習をよくした。投げられた時の倒れ方の練習だが、今思えば「人生」にも通じるものがある。

 人生、長く生きればイロイロな挫折があるが挫折した時に、どう対応するかは大事な事だ。

 どんな人でも人生の中で大きな不幸を連続3回くらい経験すると、かなりのダメージでメゲル。

 ボクシングでも1ラウンドで3回ダウンすれば、ドクターストップだ。

「立つんだ、立つんだ、ジョー」は「アシタのジョー」だが、マットに頭からマトモに倒れると脳震とうで立つこともできなくなる。

 激しいスポーツの相撲やプロレスは自然と「受け身」をとっているので、大怪我にはならずに次の日も元気に興業ができる。

「人生、受け身の姿勢ではいけない」なんて言う人がいるが、人生、「受け身」がとれないとボコボコになる。

 世の中には、ドーしようも無いことがアルアル、アルゼンチンで「押してもダメなら、引いてみな」だが、「引いてもダメなら諦めな」で、昔から「諦めが肝心」という言葉がある。

「諦念」だが、「断捨離」の「捨」とか「離」って、コダワリをステ捨てアキラメルという事でもある。

「少年よ、大志を抱け」はクラーク先生の教えだが、「老人よ、大志を忘れろ」なんていう教えはないか。

「少年よ、大志を抱け」は英語で「ボーイズ ビー アンビシャス」だが、「オールドボーイズ ノット ビー アンビシャス」で、「新年の抱負」とかいって、新しい事に挑戦すると「年寄の冷や水」になるので無理はできない。

「年寄りの冷や水」だが「年寄りの冷や酒」なんて言葉はないか。

 精神的にメゲタ時は、酒を飲んで嫌な事を忘れ気晴らしするのも「受け身」のひとつだ。

 昔の人は日本酒を燗して「熱燗」「ぬる燗」や「人肌」など熱さに差をつけて飲んだが、最近はホボ「冷や酒」だ。

 日本酒ブームだが、最近は一升瓶をあまり見ない。

 車座になって一升瓶に茶碗酒なんて、昭和の学生コンパだが、今は「学生コンパ」なんて言ったら、ガールズバーの女子大生コンパニオンと間違われる。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」なんて言葉もあるが、長い間「二頭を追う者は一頭をも得ず」と勘違いして覚えていた。

「二兎、一兎ってウサギの事だよ。ピョンピョン跳ねるウサギ」「♪ウサギ追いし、かの山のウサギ」と友人に教えられたが、「ウサギおいし、って食べたのか」なんてオバカな質問をした時代もありました。

「何となく、今年は良いこと あるごとし、元日の朝、晴れて風無し」は石川啄木の歌だが、来年は、コロナや戦争の「波風」も収まり、何となく幸せな年になって欲しい。

「♪なんとなく なんとなく なんとなく 幸せ」なんていう昭和のGSソングもあったが、ウサギは「なんと啼く」、鳥は「なんと鳴く」、人は「なんと泣く」なんて、なんとなく書いてみた。

 人は泣けば涙も出るが、「♪飾りじゃないのよ、涙は、ホーホー」なんて鼻歌を歌いながら、年末に「正月飾り」をしたボクです。

 (2022.12.31)アンブレラあつし

PAGE TOP


 

 Copyright(C) Atsushi&Habane. All Rights Reserved.
MP3「おまぬけサンタ」 by TAM Music Factory