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その204

秋の夜長の独り言

 学校に勤務していたので、各職場で一緒になった先生方とのOB会が定期的にあったが、ここ数年、コロナの影響で延期、中止が相次いでいる。

 当時の学校の「昔話」が楽しみなので、開催を期待しているのだが、主催者からすれば万が一でも、宴会でクラスターが発生すれば大変だ。

 私も含めて高齢者が多いので、開催には慎重にならざるえない。

 コロナの完全な終息が見通せないので、今後も延期、延期が継続しそうだが、このままだと二度と会えない方も出てくる。

 今となっては、クラスターなんて言葉を知らずに「暮らすたー」日々が懐かしい。

 BCは、ビフォークリストの略で紀元前のことだが、コロナ前の時代も、ビフォーコロナでBCになる。

 昔、学校でBCGという注射があったが、コロナ以前の爺さんはBCGさんになるな。

 ちなみに紀元後はADでラテン語から来ているらしいが、そんな事は、どーでもエーデーか。

 紀元前から、人生には多くの出会いがあるが、出会いの分だけ別れもある。

 誰もが、これが「最後の別れ」だなんて気がつかないまま、「またね」と別れることが多い。

 次回の職場のOB会は現時点で開催未定だが、物故者も増えているに違いない。

「♪夢で会いましょう」なんて歌があったが、「夢」が「あの世」に置き換わって物故者とは、あの世で再会するようになるのか。

 今、思えば前回のOB会の案内が来た時、ヤボ用で欠席にしたが今思うと失敗だった。

「俺たちに明日はない」という映画があったが、高齢者のボク達にも明日はない。

 案内返信の葉書には、出席に斜線をひき、「次回の会を楽しみにしてます」なんて書いたが、これからは「次回」を安易に使うのは「自戒」だ。

 前号で「現在進行形」をもじって「原罪」進行形なんて書いてみたが、「過去」進行形という言葉もある。

 高齢になってもエステに行ったり、オシャレなファッションに金をかけてカッコつけるのは「カッコ進行形」なのか。

 人は見た目なのでカッコは大事だが、カッコへのこだわりを終えてしまうと、カッコ完了になる。

 過去完了だが、元官僚は「過去官僚」なのに完了せずに天下り先を渡り歩く。

 隅田川は川下りの観光スポットだが、霞ヶ関は官僚天下りの官公スポットだな。

 私が勤務したロンドン日本人学校の事務局長は外務省からの天下りで領事館長だったらしい。

 赴任する前に挨拶にいった海外子女教育財団の理事長も文科省からの天下りだった。

 エライ人は上手に組織を上って、上手に下る。エリート官僚の仲間内では、「下れない人」はクダラナイ人になってしまうのか。

 上野公園もコロナ以前のように多くの観光客が訪れるようになった。

 久しぶりに公園で顔見知りに会うと「生きてましたか」なんて言われる。

「時々来ないと心配しますよ」なんて言われるが、時々は行っている。ただ最近は昔のように活発には活動できず、休み休み活動している。

「♪もう若くないさと、君に言い訳したね」なんて歌があったが、歳を理由に何かと言い訳できるので、年寄りになるのも悪くない。

 若ければ「いいわけーもんが、いいわけして、いいわけ?」なんて責められる。

「♪若いと言う字は、苦しい字に似てるわ」なんて歌もあって、歌手はアン真理子という人らしいがアンマリ覚えてはいない。

 フランスの有名な詩に「秋の日のビオロンのため息の身にしみて、ひたぶるにうら悲し」という一節があるが、秋風が身にしみて、ひたぶるにうら悲しいダジャレを書き続けるボクです。

 (2022.10.22)アンブレラあつし

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