前号で「おそ松くん」を話題にした。
「おそ松さん」という映画があったらしいが、「おそ松さん」って何か変だ。
最近、「くん」の代わりに「さん」がよく使われるようなり、学校でも男子の児童、生徒を「さん」で呼ぶ時代になっているらしい。
ジェンダーフリーという発想からの「流行」なのか。昭和オジサンの私は違和感を感じる。
何でもエスカレートする風潮があるが、藤子不二雄の「怪物くん」が「怪物さん」に、「忍者はっとりくん」が「はっとりさん」に、小林よしのりの「お坊ちゃまくん」が「お坊ちゃまさん」になったりしたらチョー変ではないか。
「○○さん」は、昔から「トーサン、カーサン、オジサン、オバサン」など世の中にサンザンあるので、これ以上増やす必要はない。
「さん」の増殖で「くん」が死語になってしまうではないか。
「柔道一直線」のミキッペだって、「一条くん・・・」と呼んでるし、「俺は男だ」では森田健作が、相手役の女性を「吉川くん・・・」と呼んでいた。
ちなみに「ミキッペ」は吉沢京子で「吉川くん」は早瀬久美だが、吉沢京子や早瀬久美のようなマドンナに、「○○くん」と呼ばれてみたかった昭和少年のボクです。
ミキッペは「あだ名」だが、最近の学校では「あだ名」や、「さん」をつけない「呼び捨て」を禁止する傾向があるらしい。
確かに本人が不快に感じる「あだ名」や、乱暴な「呼び捨て」は教育上よくない。
あだ名は「愛称」でもあるが、本人にとって「相性」の悪いあだ名もあるので要注意だ。
しかし、何事にもホドホドが大事で、「一律禁止」というのも、大人げない。
時々、厳しい学校の「校則」が話題になるが、児童生徒の自由な発想の過度な「拘束」は困る。
「大人げない」だが、今は「オトナゲナイ」ことに「オトガメ無い」時代になっている。
ネット時代になり誰でも情報発信できる時代だが、「目立つ」ためには何でもありで意図的に「炎上」させて売り込む。
テレビは視聴率、動画は再生回数が金になるので発信する「映像」もエスカレートする。
「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言葉があるが、所詮、人間は野次馬で、災害や事件事故、ケンカは面白い。
「人の不幸は蜜の味」で他人に同情しながらも「同情」を楽しんでいる人間が多い。
過日、行われた元総理の「国葬」だが、賛成派も反対派もそれぞれに「お祭り」のようだった。
「国葬で世論が分かれ、国民を分断する」なんてマスコミが扇動するので、マスコミのシナリオどおりに賛成も反対派も相手に「負けじ」とハッスルするが、終わってみればあっけない。
それぞれの日常に戻るが、警備のために動員された全国の警察も地元に戻ったのか。
僅かな「手当」は貰えるだろうが、個人的には「慰労手当」を公費で追加し「東京見物」でもしてほしかった。
国会議員や全国の地方議員の「視察研修旅行」の総額からみれば些細な金額だ。
「○○にイロを付ける」という言葉があるが、ご苦労なされた方にはイロを付けて「イロー」しなければならないな。
前記した「大人げなくても、おとがめない」だが、「お咎め」って「裁きや罰」のことなのか。
昔、学校帰りに道草しながら街中をぶらぶらしていると、電柱や木の塀に黒地に白で「死後、裁きにあう。聖書のことば」なんて書いてある小さな板が貼ってあるのをよく見た。
子ども心に「死後、裁きにあうなら死ねないな」なんて思ったが、裁きで「執行猶予」なんてこともあるのか。
「差し戻し」なんてなったら、シャバに戻れるのか。ツーカ、悪い事もしてないのに「死後、裁きにあう」なんてヒドクネ。
キリスト教では「全ての人は、罪を犯したアダムとイブの子孫として原罪を持っている」らしい。
自分がアダムとイブの子孫なんて意識は全くないが、今までの自分の人生を冷静に振り返れば、いろいろな罪を犯してきたに違いない。
これからも生きている間は罪を繰り返し、「原罪」も持ち続けるのか。人生は「原罪」の進行形、「原罪進行形」なのだな。
英文法で現在進行形はING(アイ、エヌ、ジー)だが、ウクライナでは「愛NG」の戦争が進行形だ。
(2022.10.8)アンブレラあつし |