前号で話題にしたキャンディーズは「普通の女の子の戻りたい」と言って引退したが、後に「普通」にカンバックしたメンバーもいる。
都はるみも「普通のオバサンに戻りたい」と言って一時引退したが「普通」に復帰した。
私もブログ200号達成を区切りに「普通のオジサンに戻りたい」と言って「岸波通信」から引退しようとも考えたが、時々投稿しないと「音信フツーのオジサン」になってしまうので、やっぱ引退は止める。
ところで「普通」の女の子とか、「普通」オバサンとか普通ってなんだ。何が普通なのか実はよく分からない。
「普通の人の普通の人生です」なんて事例はあるのか。
ちなみに、このサイトに登場する私の中学の同級生は、みんな福大フツー(附中)出身だが、フツーの人はいない。
それぞれに個性的で面白い。
コロナ感染も最近は「普通」になってきた。過日、四回目のワクチン接種をしたが、近い将来コロナ感染しなかった人が「普通」ではない人になるのか。
コロナの影響で、楽しみにしていた飲み会もキャンセルになってしまった。
変異しながら、しぶとく生きるコロナだが「変異」することが強さの秘訣だ。
「君子豹変す」は儒教の言葉だが、君子でなくてもオバチャンが、豹柄のブラウスを着ると「大阪のオバチャン」に変異しはりますねん。なんて大阪弁に変換するパソコンソフトは、あらへんのか。
話題は変わるが、T教会や東京オリンピック元理事の報道が新聞、テレビを賑やかしている。
元総理の「国葬」について、世論が二分しているらしいが、元総理の生前までは、マスコミも東京地検もずっと「忖度」してきたのに、亡くなってとたんに報道、捜査するのだから元総理はある意味スゴイ。
国民的人気のあった田中角栄元総理ですら、現職中にスキャンダル報道され失職し有罪になって、その後は政治の表舞台に出ることは出来なかったことを考えると、安部元総理はやっぱ「コクソー」に値するスゴイ政治家だ。
生前はマスコミも地検も、以前のモリカケでは官僚も彼にソンタクして、ずっとひれ伏していたのだ。
なんて皮肉交じりな事を書いたが、前回国葬の吉田茂と比べると、シンゾーアベは余りに軽い。
現総理もノリで「国葬」などと言ってしまったが、自民党葬にしておけば「悲劇の元総理」として語り継がれたかもしれないのに、国葬はヤブヘビだったな。
「凶弾に倒れた」ではなく「教団で倒れた」元総理として語り継がれる。
私も教員時代に黒板の前でつまずいて「教壇で倒れた」事がある。
転んだ瞬間、「これは生徒に笑われる。笑う生徒がいたら、人の失敗を笑ってはいけない」という教師らしい説教が脳裏に浮かんだ。
しかし生徒は笑いをこらえていた。目は笑っていたが、担任の私に忖度して笑いをこらえてくれたのか。
持つべきものは思いやりのある生徒だが、倒れた事、語り継がれてはいないと思う。
教室の黒板にチョークが学校文化の一つだったが、最近はチョークの粉は体によくないとか言って、ホワイトボードになっている学校も多い。
黒板消しを教室入口の戸の上に挟めたり、チョークにセロテープを貼って字を書けなくしたり、チョークの粉を教卓の縁につけたり、昭和の学校文化はエキサイティングだった。
チョークのない学校なんてジョークのない世の中だが、ブラックジョークはあってもブラックチョークはありませんから。
以前、教壇に立っていた頃、生徒に「ジョークを売っているスーパーマーケットを知ってるか」と質問し、「答えはジョークベニマル」と私が言ったら、生徒が凍り付いた記憶がある。
ある生徒が「先生のジョーク、つまなら過ぎて面白い」と言ってくれたので、「いい所に気がついたな。それが人生だ。」と、返答したら「先生、意味わかんない」と言う。
「やがて分かるときが来るよ」と教育者らしいことを言ってみたが、人生の意味など分からなくてもいい。
昨日まで生きたように、今日、そして明日と生きればいい。
私は今まで、意味不明に生きてきたが、最後は意識不明になって終わるのか、なんて意味不明なブログを書き続け200号に達したボクです。
(2022.8.27)アンブレラあつし |