ついにコロナ第六波が来てしまった。
いつかは来ると思っていたが、今後も第七波、第八波と寄せては返す波のようにコロナが続くのか。
その間隙をついて旅行をしたり、酒飲み会をやるしかない。
「鬼のいぬ間に洗濯」だが、コロナの少ない時に「命の洗濯」が必要だ。
命の洗濯だが、今の全自動洗濯機は脱水、さらに乾燥までの機能があるので、脱水症状で命がいくらあっても足りないな。
コロナ禍まっただナカだが、多くの人がマスクをしているので、美女もそうでない人も、美男もそうでもない人も区別がつかない。
ある意味、差別の無い平等な世の中になっている。
「人を外見で判断してはいけない」と言いながらも、「美容整形」がはやるのはヤッパ、人は見た目で外見にとらわれるからだ。
容姿は顔だけではない。服装など身に着けているものでも判断される。ブランドものや流行のものが売れるのは、「見た目」が大事だからだ。
これは車も同じでカッコいいベンツやアウデイ、ワーゲンは高級感があり社会的ステイタスになる。
昔は「いつかはクラウン」だったが、今は国産車ではレクサスで、人生のサクセスストーリー、レクサスか。
「クラウンでドラスル、何を食らうん。ワーゲンの安売り、ワーゲンセール。アウデイを運転し事故にアウデ。ベンツ、値段を聞いて目デルセス」なんちゃって。
なんて書いたが、小林旭の歌に「♪自動車ショー歌」というのがある。
昭和の車の名前が歌詞になって次々出てくるのだが、私に分らない名前が多くある。ヘッドライトの届かない昭和の闇は深い。
服装は街を出歩いて、車は路上を運転して自慢できるが、コロナ感染が最悪の状態になれば、ロックダウンで外出禁止だ。
そうなれば「見せびらかして」威張れる機会もなくなる。金持ちも貧乏人も自粛生活になれば、生活にも大きな差異はなくなる。
「神の前に平等」はキリスト教だが、ある意味「コロナのもとに平等」になるのか。
「自由、平等、博愛」はフランス革命の理念で、ロシアや中国の共産主義革命も「平等」の理念があるが、実際に「平等」過ぎると世の中面白くない。
程度の問題もあるが、違いや格差、バラツキがないと人生退屈だ。
これから大学入試の季節だが、「早慶上理」とか「MARCH」「日東駒専」という語句が並ぶ。
ミシュラン格付けのような大学のランク付けだが、受験生や保護者、学校関係者は、このランクに一喜一憂する。
「学歴偏重」はよくないと建前では言いながらも、実際には超こだわる。
学歴が無くなり学歴平等になったら、教育ママは生きがいを無くすし、受験業界の仕事も激減する。
社説などで建前を偉そうに語る大新聞社も、昔から同じ系列の週刊紙では、有名大学の合格者出身高校を大々的に「大本営発表」し学歴偏重社会を煽ってきた。
売れるものは何でも記事にするのがマスコミだし、それを買うのが国民だ。
文部科学省も、かなり以前より色々な「教育改革」をしたが、ちっとも変わってないのが学歴偏重だ。
ツーカ、共通試験などの「入試改革」で偏差値格付けが、さらに進んだ。
結局、本音では誰も「学歴偏重」をなくして平等に、なんて思ってない。
人は平等に「教」えても平等には「育」たない。
「みんな違って、みんないい」は金子みすゞの詩だが「みすゞ」の「ゞ」という字、最近はミンナ。
(2022.1.15)アンブレラあつし |